伊藤美誠、コロナ禍8ヶ月で"3つの進化" 中国対策に見る「大魔王」の野望 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:伊藤美誠(スターツ)/提供:ittfworld

卓球プレーヤー向け 伊藤美誠、コロナ禍8ヶ月で“3つの進化” 中国対策に見る「大魔王」の野望

2020.11.25

文:織部隆宏(ITS三鷹)

卓球女子東京五輪代表の伊藤美誠が11月のワールドカップで自身初となる銅メダルを獲得した。今年はコロナ禍で大会の延期や中止が相次ぎ、伊藤にとっては8ヶ月ぶりの国際大会だった。

これまで中国との対策合戦の中で成長してきた伊藤が、この巣ごもり期間にどう進化したのかを楽しみに観戦した。まさかそこで身長152センチの小さな体に秘めた大いなる野望を垣間見ることになろうとは・・・。

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中国にとっての伊藤美誠

卓球世界最強の中国の包囲網を日本選手で唯一かいくぐり続けているのが世界ランク2位の伊藤美誠だ。

1992年以降オリンピックで女子卓球の全ての金メダルを独占。万里の長城のように立ちはだかる中国に対し、伊藤は大会の度にバリエーションが増える多彩なサーブと変幻自在のレシーブ技術で翻弄し、速攻を仕掛ける。さらにプレッシャーのかかる局面でも不敵な笑みを浮かべ、重圧を楽しむかのようにリスキーな手を打つ。

最強中国の牙城を崩さんとするこの恐ろしい選手を、いつしか中国メディアは“大魔王”と呼ぶようになった。

中国が講じた伊藤美誠対策

そんな中国が伊藤対策の柱としている戦術がある。

「徹底してバックハンドを潰せ」。

中国がこの戦術を採用する理由は伊藤がバック(手の甲)側に使用するラバーの特性にある。伊藤はフォアに回転のかかる裏ソフトラバー、バックにナックルボールが出やすい表ソフトラバーを使用する。この2つの異なるラバーを使って生み出す「変化」が伊藤の最大の武器だ。


写真:伊藤美誠(スターツ)/提供:ittfworld

一方でこのバックの表ソフトラバーは変化球が出やすく相手も取りにくいが、自ら回転を強く加えにくいうえ、世界トップで求められる緻密なコントロールが難しいという弱点がある。特にバックサイドに深く速く飛んでくるロングサーブに対しては単調なレシーブとなりやすい。

そのため中国サイドは「速いロングサーブで伊藤のバックを集中攻撃することで、伊藤のレシーブの変化を最小限に抑え、ラリーの安定性で勝負する」という作戦を採用している。

対する伊藤は、狙われるバック側のボールをバックハンドで処理するのではなく、意表を突いて回り込み、フォアハンドのスマッシュで狙い撃つ形で対抗してきた。読みが当たれば一撃で得点でき、相手はスマッシュを恐れてバック側に送球しにくくなるため、牽制効果も期待できる。

しかし、打球前にバック側へと大きく体を移動させるため、対角であるフォアのネット際の短いボール(フォア前)への対応が甘くなりやすい。また、回り込んでフォアスマッシュを成功させた場合にも、フォアサイドががら空きになり、そこを狙われるリスクが残る。

「次の大会で伊藤はどう対策するだろうか」そう思ったのが3月のカタールオープン。

新型コロナウィルスの感染拡大を受け、その答えはしばらく“おあずけ”となったが8ヶ月ぶりの国際大会となった女子ワールドカップでやっとその答え合わせができた。

伊藤美誠が見せた3つの進化


写真:伊藤美誠(スターツ)/提供:ittfworld

久しぶりに見た伊藤は中国を倒すべく3つの進化を遂げていた。

一つ目にサーブの種類が更に増えていた。左官職人がコテを握るようなグリップに、ラケットハンドを体の前に大きく回す独特なフォーム。この新サーブが観客の目を引く。対戦相手は何度もレシーブを浮かせてしまい、伊藤が主導権を握る場面が多かった。同じ回転のサーブでも打球前の構えやバックスイング、そして打球後のフォロースルーが変われば相手は違うサーブに感じてしまう。

対戦相手にとっては、「1試合の中で1球たりとも同じサーブが飛んでこない」錯覚に襲われるため、プレッシャーがかかるだろう。これは1980年代〜90年代にかけて最強中国を破って何度も世界一になったスウェーデンのレジェンド、ワルドナー選手を彷彿とさせる。


写真:スウェーデン卓球黄金時代を築いたヤン=オベ・ワルドナー/提供:ittfworld

二つ目に、レシーブ時の動きのスピードが格段に素早くなった。筋力の向上もあるかもしれないが、それ以上に地面に対する足の置き方が良くなった。3月のカタールオープン時には肩幅よりも広かった足幅(スタンス)は肩幅と同じか少し狭くなった。また、つま先の向きも内股気味からガニ股に変更。つま先が外を向きスタンスが狭くなることで中心から外側に素早く動けるようになっている。小柄な伊藤にとって、最適なスタンスを探し続けた結果、ちょうど良い立ち位置を見つけたように見える。


写真:伊藤美誠と同世代のライバル、孫穎莎(スンイーシャ・中国)/提供:ittfworld

最後にバックハンドのベースとなる技術レベルがワンランク向上したように見える。今大会の伊藤は、準決勝の中国・孫穎莎との一戦で、得意の「変化をつけたチャンスメイク」を制限し、敢えて相手の土俵である真っ向勝負でのラリーを軸に試合を組み立てた。敗れはしたもののゲームカウント0-3の劣勢から2ゲームを連取し、接戦に持ち込んだところからも基礎技術の充実を感じさせる。

特にバックハンド強打の進化は著しく、前述の中国が伊藤対策で狙ってくる速いロングサーブに対し、バックハンド強打(スマッシュ、プッシュ)で狙い打つ姿勢からもその進化のほどが確認できた。伊藤はまだ試している段階なのかもしれないが、バックスマッシュでのレシーブを見せ球として使うのではなく、これをスタンダードにしようとしている選手は卓球史で初かもしれない。末恐ろしいプレーヤーだ。

戦術と行動に見る大魔王の野望

最後に、試合以外の場面での伊藤美誠のある行動を見て心から驚いた。

それはライバルである中国代表の陳夢・孫穎沙との練習を試合会場で行っていたことだ。


写真:左から孫穎莎、陳夢、伊藤美誠/提供:ittfworld

球質の変化、すなわち「個性」や「やりにくさ」が勝負の要となる伊藤のような異質型の選手は、通常ならばライバルとの練習は絶対に避ける。相手に慣れられないようにするためだ。そのリスクを犯してまで練習時間を共にしたことからは、別の意図を想像せざるを得ない。

伊藤はこれまで、型破りのプレースタイルで、相手に自分のプレーをさせないタイプだった。一方でそのトリッキーなプレーが通用しない相手、自分のペースに持ち込めない試合においては分が悪い傾向にあった。

しかし、伊藤は今回、ライバルに「伊藤のタイミング、球質」という自身の特徴・武器の一部を自らさらした。これは、短期的には勝ちにくくなるリスクを負ってでも「相手の土俵でも対等に戦える力をつける」という常勝の道を選んだと解釈できるのだ。

つまり「一度の戴冠ではなく、絶対的王者としての君臨」。
伊藤はそんな野望を胸に秘めているのではなかろうか。

大魔王が世界を征服する。そんな未来を8ヶ月ぶりの国際大会を見て想起させられた。

ライタープロフィール:織部隆宏(おりべたかひろ)


写真:織部隆宏(ITS三鷹)/提供:本人

1990年生まれ。東京都出身。早稲田大学、野村證券を経て、現在は卓球界のレジェンド故・荻村伊智朗氏がプロデュースした会員制卓球クラブ「ITS三鷹」でプロ卓球コーチとして活動。若き理論派指導者として知られる。

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