いつかは、今だ。
これは、失敗続きだった男が、生まれ育った石垣島に戻り、手作りの卓球場を開いた話である。
宮良当映(みやらまさあき)、38歳。
結果的にそれが、日本最南端の民営卓球場であっただけで。
写真:宮良当映さん/撮影:槌谷昭人
写真:石垣島にある卓球場 アックンTT/撮影:槌谷昭人
ほぼ自分で作った卓球場
写真:石垣島にある卓球場 アックンTT/撮影:槌谷昭人
石垣島の卓球場には、石垣島の風が吹いている。
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島のみんなが喜んでくれたから
卓球を始めたのは小学5年のとき。中学2年のとき、全中の沖縄県予選で個人でベスト8に入ったんです。
それが八重山(諸島)からは11年ぶりとかだったみたいで、すごく島のみんなが喜んでくれて。卓球にハマりました。
写真:アックンTTに通う子どもたち/撮影:槌谷昭人
八重山の子で、島を出るのはだいたい1割くらいしかいなくて、そのほとんどはスポーツの強い高校に行くためです。
僕も、次に石垣島に戻るのはプロ選手になったときだ、と思って島を出ました。
宮良当映(アックンTT)
でも沖縄大学に進学してもずっと練習を続けてたら、大学の後半でやっと伸びたんです。
大学3年で全日学出場、社会人一年目で国体九州ブロックと、全日本選手権ミックスダブルスに出場しました。
穏やかに話す宮良当映さん
最低の4年間
大学卒業後、宮良さんは沖縄三越に就職、実業団チームで3年間プレーする。
退職後は一転、沖縄そば屋で一年修行した後に独立したが…。
そこから4年くらい、28歳から31歳くらいまでは最低の時期でした。
美ら海水族館から日払いの解体のバイトまで、いろんな仕事を転々として。家も無くて友だちの部屋に転がり込んで、収入があるときに少しだけ払う、みたいな。
ああ、卓球も仕事も最低だなって、落ち込んでました。
写真:宮良当映(アックンTT)/撮影:槌谷昭人
いつかは八重山の子どもたちに卓球は教えたい、でも今じゃないって思ってました。
木がトンネルのようだ
宮良は32歳で石垣島に戻ってきた。
自分が学生の頃、島にこういう場所があったら良かったという場所を作ろうと思った。
地元の人が集まり、いつでも卓球ができて、子どもが自転車で通えるところにある、卓球場。
6年が経った。
いつかは、今だった。
アックンTT
島の子どもたち、最初は“なんだろうこれ”
写真:アックンTT入り口に置かれた手作りの料金箱/撮影:槌谷昭人
最近は、おばちゃんがちょっとだけ打ちに来て“今日も楽しかったよ”って喜んで帰っていく感じも増えて、それも良いなと。
練習に励む仲里剛虎(なかざとたけと)くん
島では社交的で活発な子は団体競技に行く
でも、単純に、僕は子どもの成長を見られるのが好きなんです。
そもそも、島で社交的で活発な子どもは、野球とかの団体競技に行くんです。
自分を出すきっかけを探して卓球を、という子も多いんです。
自閉傾向や発達障害気味だったり、うまくいかない状況を抱えてる子ほど、この卓球場に愛情を注いでくれるんです。
写真:修理を重ねたボール拾いの網/撮影:槌谷昭人
周囲にもはっきり変化がわかるほど、笑って、喋るようになったんですよね。
みんなが1日1日幸せそうに過ごして、成長していくのをここで見るのが僕の幸せです。
アックンTT
石垣島の人の特徴は
取材終わりに、宮良さんと共に、お勧めの八重山そばのお店に寄った。
お肉が細切りなのが、八重山そばの特徴とのことだ。
写真:並ぶ沖縄料理メニュー/撮影:槌谷昭人
そばを待ちながら、ふと石垣島の人の特徴を聞いてみた。
「そうだなあ、ゆったりしてて、お人好しで、芸事が好きで、お酒が好きで、時間にルーズで、だからスポーツで勝てないのかも(笑)」
それは、宮良さんが身に纏う雰囲気でも、少しわかる気がした。
島では、人も時間も、ゆっくりと巡る。
八重山そばは、思ったよりもあっさりしていて、とても美味しい。
「ソーキそばより、食べやすいんですよね」
「そうだ、ここのかまぼこ、石垣島の形してるんですよ、ん、あれ、本当かな」
そう笑う宮良さんが、一番石垣島の形をしていた。
写真:八重山そば
(終わり)