33歳・松平賢二 一度だけ引退がよぎった日に掛けられた言葉とは | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:松平賢二(協和キリン)/撮影:ラリーズ編集部

卓球インタビュー 33歳・松平賢二 一度だけ引退がよぎった日に掛けられた言葉とは

2022.08.10

この記事を書いた人
1979年生まれ。2020年からRallys/2024年7月から執行役員メディア事業本部長
2023年-金沢ポート取締役兼任/軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

まもなくオーストリアリーグに参戦する松平賢二(協和キリン)、33歳。

普段、自身のSNSで発信する、明るくポジティブな姿とは少し違う表情で、かつて一度だけ考えた現役引退のことや、“松平4兄弟”の一人としてそれぞれへの気持ちの変化などを語った。


写真:松平賢二(協和キリン)/撮影:ラリーズ編集部

「基本はいつも苦しい」

――これまでのキャリアで最も苦しかった時期っていつですか。
松平賢二:基本はいつも苦しいです。

外に出るときは、纏うんです。自分を作っていくというか。じゃないと、試合会場でオーラを出せないので。

喋りかけないようにしてもらうとか、なめられないように、あいつ今回懸けてないな、とか言われないように。そのためには、心身ともにすべてのモチベーションを合わせていけるように準備します。

だから、大会のときは僕だけど僕じゃない。ひとつ纏っている自分ですね。

落ち込むことのほうが多い性格

――SNSの発信なども、普段からいつもポジティブで明るい印象です。
松平賢二:周りからは、前向きだ、とかガッツがある、とかよく言って頂けるんですけど、普段から、考えて考えて、ドーンと落ち込むことのほうが多いです(笑)。

準備期間はつらいことのほうが多いですし、葛藤もありますし、うまく行かないことのほうが多いので。


写真:松平賢二(協和キリン)/撮影:ラリーズ編集部

SNSに救われた

松平賢二:でも、コロナのときはSNSに救われました。

家で自粛していて、奥さんや子どもはいますけど、卓球選手・松平賢二をどう保つかという葛藤があって。

そのときに、周りのファンの人たちがコメントとかで反応してくれて“助かったな”と思いました。これがあるから、落ち込まずに卓球に向き合える。

本当にありがたくて、だから自分でも1日1個トリックショット上げるって勝手に決めて、あれでどうにか繋がったんです。もっと見られるかと思ってましたけど(笑)。

卓球に関しては、技術的なことよりも、メンタルを自分でセーブできなくなったとき、その意欲がなくなったときが終わりかなと思います。

ステイホーム期間中にアップし続けたトリックショット

一度だけよぎった引退

――これまでは意欲がなくなったタイミングは無かったんですか。
松平賢二:一度だけありました、27歳頃に。

そのとき、全日本のランク決定戦でもし負けたら引退しようと思ってました。

準備して準備して、これで負けたら俺の実力はここまでだと思えるほど準備して。

そしたら、勝てた。ああ、やってきたことは間違いじゃなかった、でも、その日々の中で気持ちが追いつかなくなってきていました

全日本が終わった後、真二さん(佐藤真二元協和キリン監督/現GM)とご飯を食べているとき、“今回、ランク入れなかったら辞めようと思ってました”ってポロッと言ったんです。

――ええ。
松平賢二:そしたら真二さんがさらっと言ったんです。

「いや、お前の引退は俺が決めるから」って。

そのときは、ぼんやり聞いていたんですが、僕は一年更新の契約社員なのに、ここまで言ってくれる安心感、そこまで必要としてくれるんだという思いが後からこみあげてきて。

だったら、自分のためじゃなくて、会社のために僕は頑張れる。

そう思ったら、気持ちが戻ってきたんです。モヤモヤが晴れた。

それからは、現役を辞めたいと思ったことは一度もないです。


写真:松平賢二(協和キリン)/撮影:ラリーズ編集部

時を重ねて変化する兄弟関係

――いい話ですねぇ。

じゃあ、脈絡なく、兄弟姉妹の話を聞きます(笑)。

松平賢二:あ、はい(笑)。


写真:スーパースポーツゼビオ セブンパークアリオ柏店内のトレーニング器具にテンションが上がる/撮影:ラリーズ編集部

――石川県のご実家・松平スポーツを継いだ兄・敏史さん、賢二さん、健太さん、志穂さんの4兄弟ですよね。賢二さん、健太さん、志穂さんはかつて2013年パリ世界選手権に揃って日本代表にもなった、卓球一家です。

歳を重ねるにつれて、それぞれの関係性は変わってくるものですか。

松平賢二:変わりましたね。

志穂で言えば、6つ離れてるので、昔めちゃくちゃ可愛がってたんですよ。一番と言っても過言じゃないと、僕は思ってたんですけど。

なのに、インタビューとかで“賢二兄ちゃんと健太兄ちゃん、どちらが”というような質問に、僕と健太を天秤にかけて、健太って言うんですよ(笑)。

絶対僕のほうがあいつのことをちゃんと考えて、いろいろやっていた自負がある(笑)。進路とかの大事なときの相談は必ず僕に来るのに、そういうことは言わずに、全部健太って言うんで“こいつ、やってんな”と(笑)。

それはさておき(笑)、僕の奥さんとも仲良いですし、家にも一番来ますし、日本リーグのことも相談が来ますし。幼少期以外では、いまが一番フランクに喋れる感じがします。

良い関係ですね。


写真:松平志穂(サンリツ)/撮影:ラリーズ編集部

芯を持っている弟・健太

――健太さんとはいかがですか。
松平賢二:健太とは、ずっと一緒にいたんでね。あのまんまですよ、大人になって社交的になりましたね。

社会人になって、いろんな人と関わりながら成長して、あいつが一番、好きなように楽しく人生過ごしてるなと思いますね(笑)。

ただ、卓球に対しては熱い男で、いま、良い状態で自分を保ててるんじゃないかなと思います。

僕も健太には一番、真面目な話ができます。信頼関係があるので。

もしも健太が困ったら助けてあげたいと思ってます、僕が潰れてない前提ですけど(笑)。

チャランポランに見えるときもたまにあるかもしれませんが、自分のやりたいことが明確にある、芯を持ってる男なので、今の時代の流れにうまく乗りながら、自分の地位も確立して、人間的にもすごいと思ってます。


写真:松平健太(ファースト)/撮影:ラリーズ編集部

兄が言うならいつでも石川に戻る覚悟

――実家の松平スポーツを継いだ兄・敏史さんについては。
松平賢二:まあ、昔は嫌でしたね、毎日喧嘩してましたから。

兄ちゃんが東山高校に入学して、そこからです、兄の偉大さを知ったのは。下が何やっても、両親は僕しか怒らないんですよ。これはやってられんと(笑)。

兄ちゃんこれずっと経験してきたのか、ホントごめんと(笑)。

でも、いま、兄ちゃんが店をやって家を守ってくれてるから、僕らが自由にできている。

もしもこの先、万が一、松平スポーツが潰れそうになって兄ちゃんが“残したいから戻ってきてくれ、手伝ってくれ”って言うなら、いつでも石川に戻ります。現役を手放すのも、いまの立場を捨てるのも構わない。

それくらい、両親、兄ちゃんには感謝してます。


写真:地元・石川県のスーパースター松井秀喜の展示を見つけた/撮影:ラリーズ編集部

「僕が健太と比較されるように」

――そんなにですか。
松平賢二:はい。

兄ちゃんが一番苦しい思いをしてるはずだし、僕が健太と比較されるように、兄ちゃんも絶対に、僕と健太と比較されている。

兄ちゃんが全部背負ってくれているから、いまの僕らがいる。

でも、そういう気持ちも含めて、今の年齢になってきたから、みんなが丸く良い関係を築けてる気がしますね。


写真:松平賢二(協和キリン)/撮影:ラリーズ編集部

“大人”の卓球選手

どんな話題にも、私が質問に込めた意図を汲みつつ、でも自分の意見は曲げずに伝える。

いま、あまり卓球界にいない“大人”を感じる選手だ、と伝えると「いや、正直全然なんですよ」と笑う。

プレースタイルそのままの、実直で飾らない男である。


写真:試打スペースも充実しているスーパースポーツセビオ セブンパークアリオ柏店/撮影:ラリーズ編集部

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