多忙な水谷隼はなぜ講習会を続けるのか 卓球トップメーカー創業者と共通する執念とは | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:水谷隼(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部

卓球インタビュー 多忙な水谷隼はなぜ講習会を続けるのか 卓球トップメーカー創業者と共通する執念とは

2022.10.06

この記事を書いた人
1979年生まれ。2020年からRallys/2024年7月から執行役員メディア事業本部長
2023年-金沢ポート取締役兼任/軽い小咄から深堀りインタビューまで、劇場体験のようなコンテンツを。
戦型:右シェーク裏裏

遠いあの日の講習会の記憶。
たいていの卓球好きに、講習会の思い出を問うと、喜々として当時の衝撃を語り始めるだろう。

時は流れていま、講習会は必要なのだろうか。
技術動画は世に溢れ、教えてくれる卓球場も増え、選手本人の人柄はSNSなどでも触れられる。

多忙なはずの水谷隼、そして卓球のトップブランド・バタフライが、今年に入って講習会を増やしている。

コロナ前の2018年は年2回、2021年は年1回だけの開催だったが、2022年は9月までで既に8回を数える。

講習会の理由。
それぞれの思いに迫った。

戸上隼輔の場合

今は自身が講習会を行う立場となった全日本チャンピオンの戸上隼輔は、かつて地元・三重県に講習会に来た水谷隼のプレーを今も覚えている。

「あの日水谷さんのプレーを見て刺激を受けてから、頑張ろうと強く思い始めました」

講習会は、日本各地の誰かの強くなりたい気持ちに火を点けるらしい。


写真:新潟で行われたバタフライ講習会で講師を務める戸上隼輔(明治大学)/撮影:卓球レポート/バタフライ

水谷隼の場合

その水谷隼は、講習会でひときわ生き生きとした表情を見せる男である。

「講習会は選手は何度もやっていることですが、お客さんにしてみれば、一生に一回かもしれない。心に残る思い出になってほしいので、常に新鮮な気持ちで、全力を尽くしてやっています」。


写真:水谷隼(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部

戸上隼輔の心に深く刻まれたように、いま、水谷隼のプレーを目の前で見たいという講習会のオファーは、日本全国から数多く寄せられているという。

「今日のために昨日トレーニングしたんですが、やっぱり息が切れましたね(笑)」

トークにも切れが増すこの男にとって、強くなりたい卓球プレーヤー・ファンが集まる講習会は、心許せる故郷のようなものなのかもしれない。


写真:水谷隼(木下グループ)/提供:卓球レポート/バタフライ

株式会社タマス イベント担当・川田勝の場合

「卓球する方の気持ちって、30年前も50年前も変わってないと思うんですよね」

講習会の意義は変わってきたか、と尋ねると、川田はさらりとそう答えた。

「先日松江市で行ったイベントは1,300人のお客さんに来て頂きました」

「近くで水谷隼さんや有延大夢選手が打っているのを見る子どもたちの目の色。この感動、この衝撃を誰かに与えられるっていうのが講習会の意義じゃないでしょうか」


写真:川田勝(株式会社タマス)/撮影:ラリーズ編集部

川田自身にも忘れられない講習会がある。
12歳のとき、言わずと知れたスーパースター、スウェーデンのJ.O.ワルドナーとフォン・シェーレが地元・福岡にやってきた。
川田は福岡県代表としてワルドナーと試合をした。
感想を聞かれたワルドナーが「あの12歳の少年が印象に残りました」と言った。

川田の、色褪せない大切な思い出である。


写真:講演会で水谷隼(木下グループ)を見つめる女の子/撮影:ラリーズ編集部

長くバタフライのイベントを担当する川田には、水谷隼をはじめトップ選手たちとのストーリーも心に刻まれている。

「2011年の東日本大震災の翌年、水谷隼さんは吉村真晴選手に負けて全日本連覇が途絶え、メダルを期待されたロンドンオリンピックでも苦杯をなめた。そのときの水谷隼さんは、精神的に落ち込んで、全然練習ができていない時期でした。

それでも、被災地での講習会をオファーすると“絶対行きましょう”と、言ってくれました。

あのときは、チェコのコルベルも“日本のために、バタフライのために、自分にも何か力になれることがあるなら、何でもやりたい”と、ジャパンオープン開幕1週間前から来日して、東北の被災地を訪れてくれました」


写真:東日本大震災の被災地を訪れたコルベル(チェコ)/提供:卓球レポート/バタフライ


写真:講習会で日本の子どもたちを教えるコルベル(チェコ)/提供:卓球レポート/バタフライ

“契約選手から、ノーと言われたことないんですよね”、そう振り返る川田の表情が、バタフライ講習会の意義を雄弁に物語っていた。


写真:川田勝(株式会社タマス)/撮影:ラリーズ編集部

株式会社タマス代表取締役社長・大澤卓子の場合

「目標や目的とする大会や、会場でみんなで楽しむ場が失われてしまうと、スポーツは成り立たないんだということは、このコロナ禍の約2年間で骨身にしみました」

大澤卓子社長は柔らかな笑顔で、いま講習会を増やす理由を語る。

「いろんなツールが普及しても、体験から得られる“楽しさ”は、やっぱり特別だなと思うんです」


写真:大澤卓子社長/撮影:卓球レポート/バタフライ

東京オリンピックの日本選手の活躍を現場で観られたことも、“体験価値”を再認識する契機となった。

「“ちょっと1回会社戻ってからまた来ますね”とか、合間を縫いながらでしたけど(笑)。

そこで、あの混合ダブルス準々決勝、水谷隼/伊藤美誠ペアのドイツ戦での大逆転をはじめ、決勝では中国ペアを破った瞬間、中国国歌が定番として流れる表彰式で君が代が流れ、日の丸が一番高い位置まで上がった光景は忘れられません。

現場の風を肌で感じるというリアルな体験は、他の何にも代えがたい大切なものだと実感したんです」


写真:水谷隼(木下グループ)/提供:ITTF

タマス創業者・田舛彦介と水谷隼には、共通する執念のような思いがある、と大澤社長は言う。

「卓球をメジャーにしたい」

それは見果てぬ夢なのか、それとも手の届きそうな近未来なのか。


写真:タマス創業者・田舛彦介/提供:卓球レポート/バタフライ

バタフライ講習会の場合

バタフライ講習会は、基本的に無料だ。
会場で自社製品の物販をすることもほとんどない。

元世界チャンピオン・伊藤繁雄や長谷川信彦、元日本チャンピオン・岩崎清信や渋谷浩などが全国各地を回り、強くなりたい人たちの気持ちに火を点けてきた、卓レポ講習会時代からの伝統である。


写真:卓レポ講習会/提供:卓球レポート/バタフライ

「もちろん、当社も最終的には、ラケットやラバーを作って買って頂く卓球メーカーなんですけど」
前置きした上で、大澤社長は言った。

「でも“卓球すごいな、楽しいな、やりたいな”っていう夢や憧れをもってもらう体験があるから、卓球をする人たちも増えてくれるので、それは、たくさん選手と契約させて頂いている当社の、一つの役割なんじゃないかなと思います」


写真:大澤卓子社長(写真右)/撮影:卓球レポート/バタフライ

だって、と続けた。

「卓球らしさと卓球の魅力っていうのは、やっぱり身近にいるものが1番分かっているはずですから」


写真:全国レディース指導者講習会で指導する渋谷浩(株式会社タマス)/提供:卓球レポート/バタフライ

卓球普及の歴史の先で

講習会という種蒔きをずっと続けてきた、バタフライの歴史。バタフライ卓球道場の改修工事に入る直前、ある写真を見つけて、大澤社長は改めて実感したという。

「バタフライ卓球道場で行われた“指導者講習会”の写真が道場に飾られていたんです。天理大学卓球部の監督だった私の父が、その1回目か2回目に、講習会参加者として写真に写っていました。私がまだ生まれてない頃の写真だと思うんですよ(笑)」


写真:大澤卓子社長/撮影:卓球レポート/バタフライ

「ああ、確かに父は、“講習会で松崎キミ代さんに来ていただいた”とか、“タマスの地下食堂でカレー食べたよ”とか、本当によくバタフライの話をしていたなあと。講習会、卓球の普及を大切にしてきた当社の歴史を感じました」

脈々と続いてきたバタフライの“卓球の普及活動史”の先で、いま水谷隼らが奮闘している。


写真:バタフライ講習会の様子/撮影:卓球レポート/バタフライ

なぜ講習会の話は

ところで大澤さんご自身の講習会の思い出は、と取材の終わり際に聞いてみた。

「ありますよ、もちろん」身を乗り出しながらとびっきりの笑顔になる。

「就実高校時代、伊藤繁雄さんが講師でいらっしゃって、当時セパレートの卓球台を2台横に繋げて2台分のフットワークを始めたんです(笑)。君たちもやるんだよ、“え、嘘でしょ?”って思いながら練習した記憶が(笑)」


写真:大澤卓子社長/撮影:卓球レポート/バタフライ

人はなぜ、講習会の思い出を話すとき、こんなに楽しいのだろう。

強くなりたかった日。
あの日、卓球の奥深さを教えてくれた英雄は、心のなかでずっと英雄のままだ。


写真:水谷隼(木下グループ/手前)と及川瑞基(木下グループ/奥)/撮影:ラリーズ編集部

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