「行ったその日に帰りたいと思った」7年間の中国留学で日本生命・岸田監督が得たもの | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

卓球インタビュー 「行ったその日に帰りたいと思った」7年間の中国留学で日本生命・岸田監督が得たもの

2021.05.14

この記事を書いた人
Rallys編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

Tリーグ3連覇を成し遂げた日本生命レッドエルフは、于梦雨(ユモンユ・シンガポール)がシングルス、ダブルス合わせて17試合、陳思羽(チェンズーユ・チャイニーズタイペイ)が8試合に出場した。

コロナ禍でも来日し、チームのために献身的にプレーする彼女らを支えたのが岸田聡子監督だ。ベンチに入ってゲーム間のアドバイスはもちろん、メディアの囲み取材での中国語通訳もこなしている。

キャリア豊かな海外選手と若い日本人選手の間を、巧みな中国語で繋いでいるのでは?そしてそれが三連覇にも大きく貢献したのでは?

それは軽やかに否定されながら、インタビューは始まった。


【岸田聡子(きしださとこ)】1977年4月14日生まれ。北京体育大学卒。現役時代は全日本社会人シングルス優勝や全日本選手権シングルス、ダブルスともに3位に入った実績を持つ。日本生命レッドエルフの村上恭和総監督を支える監督として日本生命レッドエルフの3連覇に貢献。

日本選手と海外選手のチームワークの作り方

――日本生命は于梦雨(ユモンユ)選手や陳思羽(チェンズーユ)選手がシーズンを通してプレーし、見事3連覇を成し遂げました。

今回、岸田監督には『日本選手と海外選手のチームワークの作り方』というテーマでお話を伺いたいと思っています。

岸田監督:うーん、このテーマをいただいたときにどんなことか考えたんですけど…。

ずっと彼女らのことだけを思ってるわけではなくて、だから言うほどのことはないんですよね(笑)。


え…そこをなんとか…

――中国語を話せる岸田監督ならではの部分があると思ってるのですが…。
岸田監督:そもそもチームワークの作り方は、海外選手に限った事ではないと思っていて、全体的にチームがどうやったら上手くいくかを考えて、本人が悩んでいたら話を聞いたり、理解が足りないと思えば説明したりはします。

こういったコミュニケーションという点では、中国語を話せる海外選手が多くいる日本生命は私が伝えているので、そこが目立っているだけかなと。


写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

――卓球という競技的にも中国語を扱えるのは大きなポイントですよね。
岸田監督:すごく便利ですね。話せるだけでなく、聞く方もわかるので。

選手同士が話しているのを聞いて、何か勘違いしてるなと思ったら教えてあげることもできますし。


写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

中国に7年間の卓球留学「行ったその日に帰りたいと思った」

――そもそも岸田監督は、いつから中国語が話せるんですか?
岸田監督:中学卒業後に高校・大学と7年間北京に留学してました。そこで中国語は普通に喋れるようになってましたね。
――えっ、高校から中国留学は珍しいですね。
岸田監督:私が中学生のときは、インターハイで優勝してたのがほとんど中国からの留学生でした。私も中国人コーチに習っていたので、話を聞くと「日本に来ている選手は、中国ではトップではない」と言うんですよ。

じゃあ私は中国に行って練習しないとダメなんじゃないかと思って、北京出身のコーチに紹介してもらって高校から北京に行きました。


写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

――かなり思い切った決断ですね。
岸田監督:でも、行ったその日に帰りたいと思ったんですけどね(笑)。
――初日でまさかの(笑)
岸田監督:北京に行って最初にボール打ったのが4歳くらい年下の子で、フォア打ちした時に「あれ?この子ものすごい強い」と思った。それが張怡寧(ジャンイーニン、後のアテネ・北京五輪金メダリスト)でした。でも当時はナショナルチームでもないし、北京市の同じチームにいたんです。

ということは自分より上の学年にはもっと強い選手もいると考えたときに、中国に勝つなんて無理だって思ってしまった。中国に勝つなんて話が遠すぎると思って、行ったは良いけどもう帰りたいとなりました。


「周り見たら周りの子もすごい強くて、リュウ・ジャとかもいました(笑)」

――でも結局7年間いたんですよね?
岸田監督:強くなると言った手前、一日で帰るのはさすがに無理だなと、とりあえず必死で頑張りました。

でもそれが私にとっては転機でした。

私は弱いんだと気づいて、とにかく真面目にやって、必死にやったんだから仕方ないと言えるように日々過ごしていました。

本当は1年で帰ってくる予定だったんですけど、1年たった自分が全然強くなって無かった。それだったら高校卒業するまで頑張ろうと思って、3年間経ちました。

日本の大学に進学や企業に就職も考えましたが、練習環境を考えると北京体育大学では卓球が強くなるために必要なスポーツ全般の事を学べ、中国国内での試合にも出れると聞いて、北京体育大学への進学を決め、気が付いたら7年間中国にいました。

海外選手のフォローの仕方


写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

――それだけの経験をしている岸田監督だから海外選手が日本で戦う気持ちもわかるわけですね。
岸田監督:中国で一人で生活してたので、海外で生活する気持ちはわかっています。

日本と海外の常識は違うところもあるので、日本はこういう感じだよと先に説明しておけば、選手もだいたい受け入れてくれますね。


わかってはいたけど、謙遜してるだけでめちゃめちゃ貢献してる人だ…

――海外選手は日本のどういうところに驚いてましたか?
岸田監督:例えば、畳に座ることとか。

あと一番言っていたのは応援についてです。うちは森さくらと前田美優を中心に、どこのチームにもないようなすごい応援をする。他の選手も2人がすごいから一緒になって応援する。出ていない選手でも試合している選手を全力で応援する。

たぶんシンガポールや台湾もベンチの応援はあるんですけど、うちほどの勢いで応援する感じではない。ベンチでみんな一生懸命応援しているのが、最初はびっくりしたけどすごく励みになるし嬉しいと言っていましたね。

――日本生命のベンチの盛り上がりはリーグ随一ですもんね。

ベンチワークも海外選手だと気をつける点が違うのでしょうか?

岸田監督:日本選手とは違いますね。日本選手は普段から練習場で1年間一緒に見ている。でも海外選手はキャリアがあって普段も見ていない。

なので、様子を聞きながらアドバイスします。ただ、于梦雨と陳思羽の場合は、自信がすぐになくなるタイプなので、「大丈夫だよ」とか「もっと自信持って」とか励ます言葉をかける事が多いです。

いつもの自分とは勝手が違うところで戦っているので、日本人はホームだけど彼女らにしたらアウェイ。不安は日本選手よりも絶対にあるのでなるべく楽にしてあげたいとは思ってます。


写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

――その2選手は、ゲーム間も不安そうに話してる姿をよく見ました。
岸田監督:世界で戦っている選手にとって当たり前の事が、彼女達の知らない日本人選手にとって当たり前ではない事もあるので。
――例えばどういうところですか?
岸田監督:「長く速いサーブ出しても打ち抜かれる」と不安そうに言うんですけど、「いや絶対に入れてくるだけだからその球狙えるよ」とか。「短いサーブ出すとチキータしてくる」「ストップをピタッと必ず止められる」と言うんですけど、そんなことなくて、チキータもストップもしてこなくてツッツキしてくる。そんな話になることは多いですね(笑)。

キャリアが長いからこそ「あれもこれもしてくるかもしれない」と不安になる。

みんな一生懸命やってるので勝ってほしいですね。負けるとすごいへこんで暗い感じになっちゃうので。

――負けた海外選手とのコミュニケーションで意識していることはありますか?
岸田監督:とにかく良いことだけ言っていきますね。みんな自己評価が低かったり自分に厳しかったりするので、とにかく良かったことを言っていく。

「一敗もしない人はいないから、良いプレーさえすれば負けてもいいんだ」とはよく言いますね。

勝負だから負ける事も有る。

もちろん勝てれば最高ですけど団体戦は自分が負けてもチームが勝てば良いし、応援してくれている人は、選手の頑張っている姿や、良いプレーに共感したり勇気をもらったりすると思うので、自信を持って戦える様にまた挑戦すればよいと思います。


写真:岸田聡子監督(日本生命レッドエルフ)/撮影:槌谷昭人

自身の7年の中国での経験を活かしたサポートをしつつも、チームワークにとっては日本人も海外選手も関係ない、という爽やかな哲学があった。

特集・日本生命レッドエルフ第1弾 森さくら、前田美優らのインタビュー


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