卓球部に所属して毎日のように練習する学生生活には、いつか終わりが来る。卒業後にプロ選手や実業団選手として一線でプレーし続けられるのは、ほんの一握りの選手たちだけだ。
学生卓球界でトップを走ってきた選手たちは、どうやって自身の引き際を決めるのだろうか。そして、社会人として卓球生活の経験をどのように活かしているのだろうか。
今回は、青森山田中学、希望が丘高校、中央大学と強豪校でプレーし、今は一般企業で働く中澤紬さんをインタビューした。
【中澤紬(なかざわつむぎ)】青森山田中、希望が丘高校から中央大学と卓球強豪校でプレー。現役時代は関東学生卓球リーグ1部通算シングルス10勝4敗。関東学生選手権でも2018年、2019年とシングルスでランク入り。今は一般企業で広報や採用を担当。
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青森山田中→希望が丘高→中央大の強豪校生活
写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人
以前Rallysでインタビューされていた朝田(茉依)も言ってたかもしれないですけど、寮は10何人一緒の大部屋で、自分のプライベートが基本ないですし、辛かったですね。
写真:希望が丘高時代の中澤紬さん/提供:本人
その時は思春期だったこともありますし、私が反抗的で問題児だったので、月に3回くらいは何かしらでやらかしていました(笑)。
問題児だったそうです
朝田は結構おっとりしているように見えますが、入学当初は闘志メラメラで、私に面と向かって「つむには絶対負けないから」みたいに言ってくることもありました。今思えばそう言ってくれたことで、私も負けたくないって気持ちで頑張れていました。
写真:朝田茉依さんと同級生の中澤紬さん 希望が丘高時代にはダブルスも組んだ/提供:本人
また、中学校の時から山本怜さん(現・十六銀行)とすごく仲が良かったので、中央大学には怜さんもいるし頑張ってみようとも思い、入学しました。
写真:中央大学の中澤紬(写真左)と青木千佳(写真右)/撮影:ラリーズ編集部
「4年間で卓球は終わろう」
足首も一本靭帯がないんです。
写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人
ヘルニアがもう1回ひどくなったらもう耐えられないなと思ったので。
写真:2020年の全日本選手権での中澤紬さんと矢島淑雄監督/撮影:ラリーズ編集部
自分で決めた道に正解も不正解もない
写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人
他にもコミュニケーション能力は役に立っています。寮生活や合宿などで色んな方と喋る機会もありましたし、監督やOB・OGさん方とお話した経験も、上司や50、60代の方と話すときにも活きています。
あの時こういう道を選んでいたら変わっていたのかなと考えるかもしれないんですけど、実際どの道に行っても絶対そう考えるので、自分が決めた道に自信を持って進路を決めていってほしいなと思います。
写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人
卓球との関わり方は、第一線で戦い続けることだけではない。いつでもプレーできるのが生涯スポーツである卓球の良さでもある。中澤さんは、学生時代の卓球漬けの日々の経験を活かし、今では日々の生活の一部に卓球を溶け込ませ、また別の道で活躍していくことだろう。