「自分で決めた道に正解も不正解もない」卓球強豪校でプレーした中澤紬の引き際の選び方 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人

卓球×インタビュー 「自分で決めた道に正解も不正解もない」卓球強豪校でプレーした中澤紬の引き際の選び方

2022.02.20

この記事を書いた人
Rallys副編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

卓球部に所属して毎日のように練習する学生生活には、いつか終わりが来る。卒業後にプロ選手や実業団選手として一線でプレーし続けられるのは、ほんの一握りの選手たちだけだ。

学生卓球界でトップを走ってきた選手たちは、どうやって自身の引き際を決めるのだろうか。そして、社会人として卓球生活の経験をどのように活かしているのだろうか。

今回は、青森山田中学、希望が丘高校、中央大学と強豪校でプレーし、今は一般企業で働く中澤紬さんをインタビューした。


【中澤紬(なかざわつむぎ)】青森山田中、希望が丘高校から中央大学と卓球強豪校でプレー。現役時代は関東学生卓球リーグ1部通算シングルス10勝4敗。関東学生選手権でも2018年、2019年とシングルスでランク入り。今は一般企業で広報や採用を担当。

青森山田中→希望が丘高→中央大の強豪校生活


写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人

――中高大と強豪校でプレーされてきましたが、当時の印象を伺っても良いでしょうか。
中澤紬さん:青森山田中学のときは、卓球に関しては自主性重視だったので伸び伸びできましたし、周りが強い方たちばかりだったので、毎日の練習や試合が本当に刺激的でした。
――希望が丘高校は青森山田中学とはまた違いましたか?
中澤紬さん:青森山田は自主性重視ですけど、希望が丘は徹底的に管理される。学校生活や卓球、全部管理下で両極端でした。

以前Rallysでインタビューされていた朝田(茉依)も言ってたかもしれないですけど、寮は10何人一緒の大部屋で、自分のプライベートが基本ないですし、辛かったですね。


写真:希望が丘高時代の中澤紬さん/提供:本人

――朝田さんもインタビューで似たようなことをおっしゃってました(笑)
中澤紬さん:朝田は私の代のキャプテンでしたが、私がやらかすせいで負担がかかっていたと思うので、申し訳ないです。

その時は思春期だったこともありますし、私が反抗的で問題児だったので、月に3回くらいは何かしらでやらかしていました(笑)。


問題児だったそうです

中澤紬さん:朝田とはダブルスを組んで、県大会や九州大会で優勝したり、シングルスも二人で決勝戦で当たったりしていました。

朝田は結構おっとりしているように見えますが、入学当初は闘志メラメラで、私に面と向かって「つむには絶対負けないから」みたいに言ってくることもありました。今思えばそう言ってくれたことで、私も負けたくないって気持ちで頑張れていました。


写真:朝田茉依さんと同級生の中澤紬さん 希望が丘高時代にはダブルスも組んだ/提供:本人

――そこから中央大学に進学されましたが、どういう経緯ですか?
中澤紬さん:中学3年生のときに練習に行かせていただいて、ユニフォームが可愛いなって思って、あのユニフォームを着たいなと思ったのも1つあります、

また、中学校の時から山本怜さん(現・十六銀行)とすごく仲が良かったので、中央大学には怜さんもいるし頑張ってみようとも思い、入学しました。


写真:中央大学の中澤紬(写真左)と青木千佳(写真右)/撮影:ラリーズ編集部

――中央大学では結構活躍もされてましたよね。
中澤紬さん:1、2年目はリーグ戦も全然出られなかったですし、3、4年でやっとちょっとした成績が出たくらいです。辛かったり苦しかったりしたこともあったんですけど、それも含めて4年間本当に楽しかったですね。

「4年間で卓球は終わろう」

――大学3、4年で成績が出て、卒業後も卓球で進路を選ぼうとは思わなかったですか?
中澤紬さん:大学1年生からすでに4年間で卓球は終わろうと考えていました。大学卒業は良い区切りだなと思いましたし、それに怪我も抱えていたので。
――どこを怪我してたんですか?
中澤紬さん:腰と足首です。腰は小学校6年生くらいからヘルニアになっていて、関東学生も一度ヘルニアで棄権したこともありました。

足首も一本靭帯がないんです。

――え…。ボロボロだったんですね…。
中澤紬さん:でも、足首は全然卓球とは関係なくて、青森で雪道を肉まん食べながら歩いていたら滑って靭帯を切りました(笑)。


写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人

――中央大学の矢島淑雄監督には、卓球を続けないことについて何か言われましたか?
中澤紬さん:結構言われました。親にも「続けないの?」って言われましたし、矢島監督には「もったいなくないか?卓球やった方がいいんじゃないか?」とは勧められたんですけど、やっぱり怪我が辛くて。

ヘルニアがもう1回ひどくなったらもう耐えられないなと思ったので。


写真:2020年の全日本選手権での中澤紬さんと矢島淑雄監督/撮影:ラリーズ編集部

自分で決めた道に正解も不正解もない


写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人

――今は卓球と関係ない仕事に就かれてるんですよね?
中澤紬さん:はい、今は一般企業で採用と広報をやらせていただいています。
――強豪校での卓球生活が今の社会人生活に活きているなと思うことはありますか?
中澤紬さん:打たれ強いというか、メンタル面がすごく鍛えられているとは思います。辛いことがあっても、あの時と比べたらそんなことはないだろうとは考えられるようになりました。

他にもコミュニケーション能力は役に立っています。寮生活や合宿などで色んな方と喋る機会もありましたし、監督やOB・OGさん方とお話した経験も、上司や50、60代の方と話すときにも活きています。

――
中澤紬さん:自分で決めた道に正解も不正解もないので、信じて進むしかないと思っています。

あの時こういう道を選んでいたら変わっていたのかなと考えるかもしれないんですけど、実際どの道に行っても絶対そう考えるので、自分が決めた道に自信を持って進路を決めていってほしいなと思います。


写真:中澤紬さん/撮影:槌谷昭人

卓球との関わり方は、第一線で戦い続けることだけではない。いつでもプレーできるのが生涯スポーツである卓球の良さでもある。中澤さんは、学生時代の卓球漬けの日々の経験を活かし、今では日々の生活の一部に卓球を溶け込ませ、また別の道で活躍していくことだろう。

中澤紬さんのTwitter

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