「すいません、ちょっと別の門のほうに行っちゃったみたいで」
待ち合わせた専修大学正門の前で頭をかきながらやってきたのは木村香純ではなく、専修大学女子卓球部の加藤監督だった。
数分後、ダントンの赤いウールコートを羽織った“ミラクル・ガール”は、息を切らせて大学前の坂を登ってきた。
写真:木村香純/撮影:田口沙織
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“遅咲き”のミラクル・ガール
木村香純、21歳。
専修大学3年生でありながら今季から卓球Tリーグに初参戦すると、11月の開幕戦で早田ひな(日本生命レッドエルフ)をストレートで破り、ファンの度肝を抜いた。
続く2戦目は、リオ五輪団体銀メダリストのシャン・シャオナ(ドイツ代表/日本ペイントマレッツ)。
3戦目は、ユモンユ(シンガポール代表/日本生命レッドエルフ)。
久しぶりの出場となった4戦目ではエリザベタ・サマラ(ルーマニア代表/トップおとめピンポンズ名古屋)。
世界ランキングも経験値も格上の相手に4連勝するという“ミラクル”を起こし、チームの絶対的エース・石川佳純が国際大会参加などで不在の間に、もうひとりの“カスミ”の存在を強烈に印象づけた。
写真:木村香純/撮影:ラリーズ編集部
21歳でも、今の日本の女子卓球界では遅咲きと言われてしまう年齢だ。
幼少の頃から世界を見据えて切磋琢磨し、10代で全日本や国際大会で上位を狙うというのが、現在の日本卓球界のスタンダードになりつつある。
「ホント遅れてすいません、ちょっと、汗拭いていいですか」
ヒーローだけじゃない。
ヒロインも、いつも遅れてやってくる。
「緊張するのはもったいない」
11月17日、躍進の契機となったTリーグ開幕戦。
デビュー戦でいきなり単複出場という重圧のかかる状況だが、木村は自分でも不思議なほど平常心で、早田ひな戦のコートに入ることができた。
「いつ出してもらえるかわからないので、緊張して何もできなかったらもったいない。無駄な思いは捨てて目の前にあるものだけ。そんな感じでした」
写真:木村香純(木下アビエル神奈川)/撮影:ラリーズ編集部
それだけ聞くと強心臓のようだが、その約一ヶ月前の10月、入団決定後初めて木下アビエル神奈川の練習場に行く前日、食事が何も喉を通らなかった。
「しかも、いきなり石川(佳純)さんと練習って言われて」
同じ“カスミ”の名前を持つ、学年で7つ上のスター選手との練習。
写真:木下アビエル神奈川のエースでキャプテンの石川佳純/提供:©T.LEAGUE
「雲の上の存在なので、本当に存在するのかなって(笑)。見たことあるんですけど、私と同じ人間なのかなあって。そしたら練習場でたくさん話しかけてくださって、それで初めて、あ、人間だって(笑)」
「石川さんも同じ人間でした(笑)」
「プロは別物」
プロの練習場に通い始めてすぐ、レベルの違いに焦りを感じた。
「みんなチキータもフリックも当たり前。私も一応できますけど、自分の身体の一部になってない。みんなできることが自分にだけできない。それで一緒のチームで団体出るのか、って思って」
写真:木下アビエル神奈川チームメイトの浜本由惟/撮影:ラリーズ編集部
そこから木村は木下の練習場に通いつめる。
自分ができなくても、レベルの高い技術を見ることはできた。この人はこうアドバイスされて、ここに気をつけてやってるのかと。
約一ヶ月後の11月17日、Tリーグ開幕戦。
木村は勝負どころの竸った場面でもチキータレシーブで先手を取れる、トップ選手顔負けのアグレッシブなスタイルに変貌していた。
写真:チキータレシーブをする木村香純/撮影:ラリーズ編集部
そんなに急に技術が身につくものだろうか。
理由は簡単だ。
彼女もまた、卓球エリート街道を歩んできた基礎技術のとびきり高い選手だったからだ。
伊藤美誠、平野美宇、早田ひならの“黄金世代”の一つ上で、加藤美優(日本ペイントマレッツ)と同い年。
木村もまた、かつて早くから将来を嘱望された選手の一人だった。
回り込みの光る少女
両親の影響で5歳でラケットを握った木村が、卓球界の名門、大阪の四天王寺羽曳が丘中学に入学を決めたのは小学5年。
声をかけられたのは、ジュニア選手の登竜門、東アジアホープス日本代表選考会だった。
「めっちゃ嬉しかったんですけど、ボロ負けした試合の後だったので驚いて。そのコーチのジャージにミキハウスって付いてるの確認して、うん、本物だなって(笑)。あとで聞くと、回り込みが光っていたって。当時バックハンドができなかったんで、とりあえず回り込むスタイルだったんです」
写真:回り込みの光る少女だった/撮影:田口沙織
常勝・四天王寺羽曳が丘中学の中でも、一年生からレギュラーの座を掴む。
「たぶん中高6年間の団体では、ほとんど負けてないと思います」
順風満帆な卓球キャリアの中でも特に、木村の団体戦での強さは際立つ。
「団体のほうが好きですね」
「力強くないですか、後ろにみんないるって」。さらりと語る木村だが、実は中学2年の全国中学校体育大会(全中)で、自ら“どん底”と語る苦い経験があった。
伝説の“木村香純、団体ほぼ全て5番”
中2の全中、木村は個人戦でまさかの大阪府予選落ちし、出場すら叶わなかった。
「団体ではチームが絶好調で全部3-0とかで全中優勝だったんですけど、私は団体でほぼ全て5番でした」
写真:“子どもでした”と振り返る/撮影:田口沙織
勝負がすべて3-0で決まっていくため、ほとんど5番出場だった木村に出番はなかった。
一年生からレギュラーとして出場し、勝ち続けた木村にとって、試合に出ないことは自分の存在価値がないに等しいと思えた。
「アップにも行かない、試合にも出ない、何しに会場行ったんだろうって。“なんでお前が5番かわかるか”ってコーチに聞かれても、私も子どもだったんで、え、普通に今のオーダーで3-0で勝ててるからじゃないですかって。コーチからは“5番にいることが仕事なんだ、もしものときに回ってくる、期待してない人を5番にはおかない”って言われましたが、わかりました、しか言えませんでした」
「中学時代はホントにわがままでした」
秘密兵器と呼ばれて
偶然なのだろうか。
いま、木下アビエル神奈川でも、劉燕軍(りゅうやんじゅん)監督から木村香純は「秘密兵器」と位置づけられている。
開幕から格上選手に4連勝した後、エースの石川佳純が国際大会から帰国してチームに合流すると、木村はベンチからの応援に回るようになった。
写真:前半戦を終えてシングルス7勝1敗とチームを牽引する石川佳純/提供:©T.LEAGUE
でも、木村の受け取り方は、かつての「何しに会場行ったんだろう」とは、まるで違った。
ありがたい、とさえ思った。
「もちろん、出るかなって思って準備して出ないと、ちょっと悔しいとは思います」そう前置きした上で、ふっと表情が和らぐ。
「ベンチで飲み物渡したりするの何年ぶりだろうって。ずっと試合に出してもらってたので、出るか出ないかって言われていた人たちの気持ちがわかったんです」
「すごくいい経験してるなって」
5歳から卓球を始めて、中学、高校、大学と、各カテゴリーですぐにレギュラーを獲得し、団体戦に出場し勝利することで、木村はチームに貢献してきた。
当たり前に試合に出て、当たり前のように勝つ、それが自分の仕事だと思ってきた。
「ベンチでずっと座ってるのも疲れるんです。飲み物渡してるだけなんですけど。頑張って欲しいけど悔しい、悔しいけど頑張ってほしいっていう気持ち」
写真:チームメイトと談笑する木村香純(右から二人目)
たまにしか出ない、それが自分。そう言い聞かせてみる。すると、欲が出てきたと木村は言う。
「もっと頑張ろうって思えました。全部試合に出してもらうより、チームがセーブしてくれるこのスタイルが、今の私にとってはありがたい。チームの雰囲気も味わいたいし、みんなが試合しているところを第三者として見たいし」
21歳になった彼女は、“秘密兵器”という状況を自らの成長の糧にできる。
「出られない日を挟んでもらうから欲が出る」
ベンチでの誤算
「ベンチで、他の選手にどんなアドバイスしてるんだろうってすごく興味があって、それを聞くために木下に入ったっていう部分もあるんです」
木村はトップレベルのやりとりを間近で見られる喜びを口にする。
写真:ベンチからは世界トップレベルのアドバイスが飛ぶ/撮影:ラリーズ編集部
卓球では1ゲーム毎に選手はベンチに戻り、監督・コーチからアドバイスを受ける。それぞれのトップ選手へのアドバイス、それを知りたかったのだ。
「そしたら全部中国語でした、私と長﨑(美柚)さん以外(笑)」
「ファオバック、ツッツキドライブ、サーブレシーブくらいしか聞き取れない…」
石川佳純、浜本由惟、木原美悠、確かに木下のメンバーの多くは、中国語で会話ができる。
「もう中国語勉強しようかなと(笑)。キュウさん(邱建新総監督)も、中国語のほうが伝えやすいだろうし。石川さんとか木原さんとかにアドバイスしてるとき、近くでちょっと頷いたりしてるんですけど、ほとんど聞き取れないので、実は気持ちは死んでます(笑)」
いま、遅れてきたミラクル・ガールは、驚くほどの速度でたくさんのことを経験している。
「ポーズって、こんな感じですか?」
第2話は、木村自身が明かす急成長の2つの理由に迫る。
キーワードは「3つ上のエース」、そして「北欧での不思議な感覚」だ。
【第2話 “エースとの出会い”と“北欧での不思議な感覚” 木村香純が大学で急成長した2つの理由はこちら】