エリートアカデミーから青森山田高校に進みインターハイ優勝、大学では個人、団体ともに日本一、現在はTリーグと実業団の二足のわらじを履きプレーする。
この誰もが羨む卓球界の“エリート街道”を歩んできたのが、鈴木李茄(すずきりか・26歳)だ。
写真:鈴木李茄(昭和電工マテリアルズ)/撮影:ラリーズ編集部
所属する実業団の昭和電工マテリアルズ(旧・日立化成)では全日本社会人シングルス準優勝、Tリーグのトップおとめピンポンズ名古屋ではセカンドシーズンにダブルスベストペア賞を受賞した。
順風満帆に見える鈴木だが、卓球人生最大の壁に直面し、乗り越えようともがいている最中だった。
【鈴木李茄(すずきりか)】1994年11月8日生まれ。静岡県出身。左シェーク攻撃型。青森山田高では、インターハイシングルス・ダブルス・団体で優勝。専修大学では全日学単複優勝。左腕から繰り出す両ハンドドライブでTリーグ2ndシーズンには、ダブルスベストペア賞を受賞。(撮影:田口沙織)
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中高大の各カテゴリで日本一 “エリート街道”を歩んだ鈴木李茄
写真:力感の無いフォームでサーブを繰り出す鈴木李茄/撮影:ラリーズ編集部
鈴木のプレーは見る者の目を引く。程よく力の抜けた美しいフォームで左腕をしならせ、ポーカーフェイスで鋭いボールを繰り出す。
「力を抜いていると結構言われるんですけど、ほんとに入れてるんです。でもそういう風に見られがちなので、頑張ってるようにはあんまり見えないらしいです(笑)」。そう冗談めかして笑う。
写真:笑顔を見せる鈴木李茄/撮影:田口沙織
静岡県で卓球場を営む一家に生まれた鈴木が、卓球を始めるのは自然な流れだった。「覚えてないぐらいのときからやってますね」と幼少期から親の指導を受け、腕を磨いた。
中学ではエリートアカデミーに在籍した。通称「エリアカ」と呼ばれるこの組織は、日本オリンピック委員会(JOC)が将来的に五輪などの国際舞台で活躍できる選手を育てることを目的に設置した“エリート養成所”だ。
写真:2009年全日本選手権ダブルス3位に入った鈴木李茄(写真左)と谷岡あゆか/提供:アフロスポーツ
鈴木は中学2年のときに、全日本選手権カデットの部でシングルス・ダブルス優勝、全日本選手権一般の部ではダブルス3位に輝いた。一般カテゴリでの快挙にも「あ、そうですね。たまたま3位に入りました」と、淡々と振り返る。
写真:鈴木李茄/撮影:田口沙織
高校では、水谷隼や丹羽孝希、福原愛さんら数々のオリンピアンを輩出してきた“最強養成機関”青森山田高でプレーした。ここでも高2でインターハイシングルス優勝、高3でダブルスと団体優勝と鈴木はタイトルを総なめにしていく。
卒業後は専修大学へと進み、大学3年で全日学シングルス、ダブルス2冠、団体で日本一に登り詰めた。
「大学時代は『悩みがないことが悩み』と言ってたくらい。ただ楽しく生きていましたね」。鈴木も順調な学生時代を笑顔で振り返った。
占いに行って「悩みがないことが悩み」と言ってました(笑)/撮影:田口沙織
「思っていたよりも厳しい」社会人で直面した悩み
写真:2020年ファイナル4でプレーする鈴木李茄(昭和電工マテリアルズ)/撮影:ラリーズ編集部
中高大と各カテゴリで日本一を経験し、大学卒業後も実業団とTリーグを掛け持ちしながらもしっかり成績を残している。社会人生活の手応えに水を向けると鈴木から意外な答えが返ってきた。
「思っていたよりも厳しいです」。
苦しい胸中を明かす/撮影:田口沙織
実業団の昭和電工マテリアルズでは全日本社会人シングルス準優勝、日本リーグ優秀選手賞を受賞、Tリーグではダブルスベストペア賞を獲得している。にもかかわらず「社会人になってからが卓球人生で一番苦しい」と明かす。
「正直言うと、大学生まではただ楽しくやってるだけだった。もちろんしっかりやることはやって頑張ってもいた。でも卓球について深く考えることは今思えばあんまりやってなかった」。
学生時代と現在で卓球への向き合い方が変わったと語る鈴木李茄/撮影:田口沙織
学生時代は学業や学校生活を過ごしながら部活として卓球に関わってきた。しかし、社会人になって卓球が本業となり、ワールドツアーやTリーグで世界ランク30位以内の選手とも対峙したことが1つきっかけとなった。
「全然卓球が違う。何かを変えなきゃいけない」。
決意を語る/撮影:田口沙織
真剣に向き合い気づいた「卓球の奥深さ」
近年、ボールの変更や用具の進化、技術も新しいものが次々取り入れられ、数年前とは卓球がガラリと変わっている。選手もより変化を求められる。鈴木は「今まで以上に頑張ってもなかなか難しい部分が多い」と苦しい胸中を語る。
写真:鈴木李茄/撮影:田口沙織
「どのスポーツでもそうですけど、練習をやればやるほど強くなるわけではない。新しい技術に取り組んでみても、自分の卓球に合ってなかったら逆にマイナスになってしまう。自分の卓球を新しくしていくためにはバランスが難しくて結構苦しんでました。卓球は奥が深い」。
写真:チキータも積極的に試合で使う/撮影:ラリーズ編集部
コロナ禍で試合のなかった期間は特に難しかったと振り返る。
「試合の中で試せると、効く効かないが分かりやすい。ただ、試合のなかった期間は、練習してる方向性がわからなくて自信がなくなったり、ダメな練習をしてるんじゃないかと思ったりした。そういうところは苦しいです。だから自分の軸をしっかり持ってプレーできたらいいなと今は思っています」。
「卓球をちゃんと考えないと」刺激となった石川佳純の存在
写真:鈴木李茄/撮影:田口沙織
「あとは石川佳純選手と日本リーグでは同じチームでやらせてもらって、一緒に練習したり話したりしている中で、自分の考えが変わっていきました」。
石川は、他所属からレンタルのゴールド選手として昭和電工マテリアルズでもプレーしている。石川との出会いも鈴木にとっては変化のきっかけの1つだ。「自分より年上で強いのに練習の質も練習時間も常に上を目指して頑張ってる姿勢も全然比べ物にならない」と舌を巻く。
写真:昭和電工マテリアルズのゴールド選手としてプレーする石川佳純/撮影:ラリーズ編集部
「社会人1、2年目は試合で一緒に行動させてもらって、私の試合を見てアドバイスも貰えた。トップ選手がアドバイスしてくれることはなかなかない。昔は回転で点数を取っていても、今は回転がそんなにかからなくなってきた、などそういう話をする中で卓球をちゃんと考えないとなと思いました」。
石川佳純との出会いが鈴木李茄の転機となった/撮影:田口沙織
万事順調に“エリート街道”を歩んできた鈴木にとって、初めてとも言えるこの難題への挑戦はむしろ新鮮で心地良い。
「まあでも、最近はほんとに卓球が好きなんだなって思います。自分の卓球のレベルが上がると、できることが増えたり、勝てるようになったりする。その辺が楽しい。厳しい練習は好きじゃないけど、卓球やってるときは楽しい、みたいな(笑)」。
スッキリとした表情を見せる/撮影:田口沙織
鈴木の、リラックスした美しいフォームの卓球を見ていると、ときに卓球は簡単なスポーツのように見える。
でも、鈴木は「変わろう」と挑戦し続けていた。
エリートとは、その姿勢のことである。
これからの鈴木李茄の戦いから目が離せない/撮影:田口沙織
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写真:安藤みなみ(トップおとめピンポンズ名古屋)/撮影:田口沙織
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