「卓球だけは負けられなかった」青森山田第1世代の留学生<吉田海偉・前編> | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:吉田海偉/撮影:伊藤圭

卓球×インタビュー 「卓球だけは負けられなかった」青森山田第1世代の留学生<吉田海偉・前編>

2020.04.27

取材・文:武田鼎(ラリーズ編集部)

日本卓球の総本山、「青森山田」。名将・吉田安夫監督のもと、日本各地から優秀な若手を集め、数々のオリンピアンを輩出、日本を卓球大国に押し上げてきた「最強養成機関」だ。その最初の教え子、すなわち第1世代に名を連ねるのが吉田海偉だ。もともと中国からの留学生で宋海偉という名前だったが、日本に帰化。薫陶を受けた名将にあやかって「吉田」の名前をつけた。宋少年はいかにしてトッププレーヤーへと上り詰めたのか。

これはまだ日本の卓球界の夜明け前の物語。

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「卓球だけは負けられなかった」“外人”の意地

千葉県習志野市、現在所属する実業団である東京アートの練習後、汗を拭きながら現れた。吉田海偉、38歳。若手の台頭著しい卓球界においてはベテランとも言える年齢だが、練習はいつも本気だ。

「粘る練習をするね。練習でどんなボールがきても、“練習だからそんなに取らなくていいじゃん”って思うところを自分は全部取りにいく。それが好きなんすよ。そういう厳しい、ありえないボールを取ってみせたいんですよ。まあ取れない時もあるし、ミスする時もある。でもそれが楽しみなんですよ」と屈託なく笑う。


写真:吉田海偉/撮影:伊藤圭

吉田海偉こと宋海偉が青森山田の卓球部強化のために来日したのが高校1年生のときだ。留学生待遇ではなく、一般の生徒に混ざって授業を受け、その後練習に臨む日々が始まった。「日本語はもちろんわからない。その上、青森弁だからもっとわかんなかったよ(笑)」。

仕方なく、授業中は中国の卓球チャンピオンが記した本をむさぼるように読んだ。

「俺は“外人”だったから。卓球だけは負けられなかったよ。卓球さえ強ければ周りからは“おおすげえー!”って言われるからね」。故郷を恋しく思っているヒマはない。徹底した実力主義を敷く吉田監督のもとでは強さこそが正義だ。ひたすら強くなるべく牙を研ぎ続ける日々が始まった。


写真:吉田海偉/撮影:伊藤圭

「俺天才なんじゃないか」 インターハイ3連覇の偉業

しばしば、青森山田の選手は「うまいだけではなく、強い」と言われる。決して油断せず、並大抵の揺さぶりでは崩れず、ゲームを捨てずに最後まで食い下がる。アスリートとしての精神的な強さを持ち合わせているのだという。その強さの一端が垣間見える当時の逸話がある。

「毎日が競争だった。みんな6時半に起きて朝練を始めるんだけど、同じ時間に起きてたんじゃダメだ、って。俺が6時に起き始めると、みんなも6時に起きる。じゃあ負けるかって5時半に起きる。朝食の時間にはもうあらかた練習を終えているくらい完璧に練習していました」。


写真:吉田海偉/撮影:伊藤圭

朝練に加えて通常練習をこなしても夜になれば過酷なミーティングが待ち受けていた。「もうめちゃくちゃ叱られるんですよ。日によって全然吉田監督の機嫌が違う。その原因が清原。監督、巨人ファンで、清原が打てずに巨人が負けるともう不機嫌。ミーティングは卓球の話から始まらなくて。まず、“今日の清原、もうダメハラ!”から始まって、なんかみんな叱られてね(笑)」と懐かしそうに笑う。

当時の吉田たちの同じ代には田勢邦史、三田村宗明、加藤雅也が揃い、吉田監督のもとで競うように腕を磨いていた。「青森山田には全中1,2位クラス、最低でもベスト8のメンバーとかが揃っていた。ベスト8以下だともう弱い方。その中で結果を残したら監督が“よっしゃ、お前中心”みたいな感じになるんです」。徹底した実力主義の“吉田体制”は、プロスポーツの“Winner Takes all”の世界を体現していると言ってもいいかもしれない。


写真:吉田海偉/撮影:伊藤圭

吉田が“Take all”する瞬間は早くも訪れる。満を持して臨んだ初のインターハイ、吉田は「正直自信はなかった」と振り返る。だが、蓋を開ければシングルスで優勝、団体でもメンバーが全員高校1年生という布陣で優勝を果たした。強豪・青森山田の歴史が幕を明けた瞬間だった。吉田はその後、高2、高3とシングルスでインターハイ3連覇という偉業を成し遂げる。


写真:吉田海偉/撮影:伊藤圭

「正直、俺天才なんじゃないかって思ってたよ」。

その後、吉田は全日本選手権のシングルスで連覇を果たすなど、堂々たる実績を残す。その後、2009年の世界卓球でもベスト8に食い込んだ。それまで弱小国だった日本が世界で注目を浴び始めたのは吉田たち「第一世代」の活躍によるものだった。ここから、坂本竜介、さらには水谷隼に連なる青森山田の系譜が紡がれていくのだ。

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(取材:3月上旬)