「1月の全日本が終わってから今日までバタバタでした」。
東京・調布市にオープンした卓球場「うだ卓」のオープニングセレモニーを終えた宇田直充(うだなおみつ)氏(49)は安堵の表情を浮かべていた。
コーチとして手塩にかけて育てた長男の幸矢選手が1月の全日本選手権の男子シングルスで初優勝。そして直後の2月には自身の卓球場をオープンとあって、ひと息つく暇もなかったという。
「卓球場オープンの直前で、全日本優勝してくれるなんて、最高の親孝行ですよね」と穏やかに微笑む宇田氏が次なる目標として掲げるのが“世界で戦えるジュニア選手の育成”だ。
日本一の卓球選手を育てた宇田氏の「過去」と「未来」に迫った。
調布から世界に羽ばたく選手を育てたい
写真:チキータを披露する宇田幸矢/撮影:ラリーズ編集部
>>2020年全日本で劇的な初優勝を飾った宇田幸矢
宇田氏が自らの卓球場を作ろうと思ったのは約一年前。今年3月の幸矢選手のJOCエリートアカデミー(エリアカ)卒業に合わせて、自身もエリアカでの専属コーチから退く計画をしていた。
探し求めた物件が見つかった昨年11月からは急ピッチで準備を進めた。こだわったのは“世界標準”の卓球場だ。国際規格の卓球台、フロアマットに加え、レッスンでも公式試合で使用するスリースターボールを使用する。
「世界の卓球技術と、皆さんご自身の卓球を少しでも近づけたいなと思うんです」
既に下は2歳から上は70代後半までの幅広い層が、世界の技術を見続けてきた宇田氏の指導を受け始めている。
「もちろんトップ選手と年代も筋力も違うので同じようにはできませんが、世界の技を取り入れることは出来ます。例えば年輩の方だからチキータをしないというのではなくて、本当はやってみたい方も多いはず。世界の卓球をなるべく皆さんに浸透させられたらいいなぁと思います」。
取材前日も宇田幸矢選手がジュニアの教室に顔を出して得意のチキータを見せるなど、世界の技術を身近に感じてもらう工夫を凝らす。
場所は調布しか考えなかったという。「私も幸矢も、生まれも育ちも調布なので、この街から世界へ羽ばたく選手を育てたい」。ちなみに、幸矢選手が4月から進学する明治大学卓球部の寮も同じ調布にあり、親子とも生粋の“調布人”と言える。
「やるなら今だ」45歳で会社退職、長男の指導専念
写真:父・宇田直充氏/撮影:ラリーズ編集部
宇田幸矢選手が中学1年でJOCエリートアカデミーに入ったとき、父・直充氏自身は化粧品メーカーのサラリーマンだった。卓球界のトップ選手の親としては珍しく、それまでは主に土日だけ息子の卓球を指導する環境だった。
「その時期幸矢が少し伸び悩んでいて、協会ともご相談し、幸矢が中2の頃から土日だけ私も指導に行くようになりました」。
すると、全日本カデット優勝や全中優勝をするなど結果が出始めた。そんな長男の努力を見て「全力で幸矢のサポートをしよう。指導は後でやろうとしても遅い。やるなら今しかない」と決めた。
翌年からは会社を退職し、エリートアカデミーのスタッフとして息子の専属コーチになることを決意する。
当時、直充さん45歳。会社でも中核社員として忙しく働いていた。その年齢での退職に「会社からは正気かと止められました」と笑う。「家内の理解があったのが大きい。やるからには幸矢とオリンピックを目指そう」という覚悟だった。
「今回の全日本もそうですが、節目で幸矢が結果を出してくれたことが、良い循環を生んでくれてます」。
全日本優勝以降、誰もが認める幸矢選手の成長については「自分で課題を見つけて自分で克服する、その考える力が身についたことが一番の理由」だと目を細める。
「距離感を大事に」親子のコミュニケーション
親子としても、コーチとしてもコミュニケーションは常に良好だ。
「卓球界の親子の中でも相当会話するほうだと思います。幸矢が、いろんな思いを感じながらやってくれるので。反抗期もほとんど無かったですし(笑)」
親子仲を保つコツを聞くと「距離感は大事にしています。ダメなときに近くにいてもぶつかっちゃうので、そこはいつもこちらが考えながら」と返ってきた。
「やるなら今だ」と45歳で会社を辞めて息子の指導に専念。息子のエリートアカデミー卒業の年に「うだ卓」オープンを決め、その直前に息子、宇田幸矢が全日本で優勝する。
勝負師の仕事である。
リスク無くして成功なし。
勝負所で迷わず攻めを選択して日本一を掴んだ宇田幸矢選手と、やはり親子なのだと感じた。