卓球界のレジェンド・松下浩二氏が、卓球観戦のための書籍を発売した。
その名も「卓球超観戦術」。
張本智和の強さの理由や、「なぜ日本は強くなったのか」という多くの人が抱く疑問まで、幅広く網羅された内容の中から、印象的な部分を全4回連載でお届けする。
>>張本のバックハンドは中国を凌駕する【松下浩二の「卓球超観戦術」#2】
このページの目次
1988年ソウルオリンピックから卓球が五輪競技へ
なぜ一時代を築いた日本は低迷期に突入してしまったのでしょうか。
その理由の一つは、卓球が初めてオリンピック種目に選ばれた1988年のソウルオリンピックです。世界の卓球界の悲願だったオリンピックの参加が決まったことで、1980年代の中頃から各国の強化体勢が一気に変化を遂げました。フルタイムで練習できる環境、フルタイムで指導するコーチ。選手たちの環境が著しく良くなり、その結果中堅国が軒並み成長していきます。
もちろん日本も「初のオリンピックでメダルを」と準備はしていましたが、当時の日本卓球界は実業団の選手が中心。朝から定時まで社会人として働き、就業後に3時間程度練習をする生活が、日本代表レベルでも当たり前だったのです。プロ選手として24時間卓球のことを考え、毎日練習する他国の選手と比較すれば、日本選手の練習は決して十分とはいえず、少しずつその差は縮まっていきます。
写真:著者の松下浩二氏は日本初のプロ卓球選手だった/撮影:アフロスポーツ
選手の意識の差
練習時間や環境だけでなく、選手としての意識の違いもありました。日本の選手は、卓球だけで食べているわけではなく、卓球がなくなっても仕事があるという気持ちでプレーしていましたが、他国の選手は卓球がなくなったら生活できないので、結果を出すことに対して必死です。練習時間や意気込み、様々な積み重ねが蓄積し、追いつかれ、そして追い抜かれていき、日本は世界のトップから陥落していきました。
早い段階で日本も危機的状況に気づき、変革できたら良かったのですが、かつて世界を席巻した強豪国としてのプライドもあってなのか、自分たちのやり方が正しいと思い込んでしまい、強化の体勢が変わることはありませんでした。
現代卓球への適応の遅れ
また技術的な問題もあります。当時の日本はフォアハンド主戦が基本で、とにかくフットワークを使って、コート全面をフォアでカバーする「オールフォア」の時代。ひと昔前まではそのスタイルで勝てていたのですが、バックハンドも使う両ハンド全盛の現代卓球から次第に取り残されていきます。「日本の選手はバックが弱いから、バックに攻めれば勝てる」といわれ、実際に世界では勝てなくなっていきます。
ならば日本もバックを強化すれば良かったのでは、と現代の人は思うかもしれませんが、「フットワークが足りないから勝てないのだ!」と古臭いスタイルから脱却できず、日本の地位はどんどん落ちていきます。
常に世界のトップ3を維持していた日本でしたが、少しずつ成績は落ち込んでいき、1991年大会では男子が13位のワースト記録を更新。2000年大会で銅メダルは獲得したものの、地元大阪で開催された2001年大会も13位という結果に終わりました。
転機となった水谷隼らのドイツ留学
さすがにこれではダメだという空気になり、2000年代に入ってから少しずつ風向きが変わっていきます。転換の大きなきっかけとなったのが、2002年からスタートした男子の若手選手のドイツ留学です。翌年の2003年からは当時中学2年生だった水谷選手もドイツに渡っています。強豪国ドイツで、世界的なコーチの下、世界最先端の技術、プレースタイルを学び、水谷選手を筆頭に世界の舞台で戦える男子選手たちが育っていきました。
写真:水谷隼/提供:ittfworld
一方、女子の場合は、福原愛さんの存在がかなり大きかったです。福原さんが活躍したことでメディアにも大きく取り上げられ、「愛ちゃんのようになりたい」と卓球を始める子どもたちが全国に増えました。彼女の影響で卓球を開始する年齢も下がり、私の時代はたとえトップ選手でも中学から始めた人が多かったのですが、近年は小学校の低学年や幼稚園からスタートしているケースがトップの選手ではほとんどです。
幼少期から質の高い指導を受けた選手たちが一気に増えて、全体的なレベルは上がりました。
写真:福原愛さん/提供:ittfworld
<世界一ハイレベルなTリーグとは【松下浩二の「卓球超観戦術」#4】 に続く>
松下浩二氏プロフィール
1967年8月28日生まれの愛知県出身。日本卓球界初のプロ選手として国内で活躍し、その後、海外にも視野を広げ日本人初となるドイツ・ブンデスリーガ、フランスリーグ、中国超級リーグでプレーをした。バルセロナ五輪から4度のオリンピックに出場。現役時代はカット主戦型として粘り強く戦った。現役引退後は日本初のプロリーグ化を目指して尽力、2018年に「Tリーグ」を創設し、初代Tリーグチェアマンとなる。2020年7月をもってTリーグチェアマンを退任、Tリーグアンバサダーに就任した。10月1日より卓球メーカーの(株)VICTAS代表取締役社長に就任。