誰にだって、うまく行かない時期はある。
それが喜劇か悲劇かは、その後の歴史が判断することだ。
神巧也(じんたくや)、29歳。
卓球TリーグのT.T彩たまのキャプテンとして、そして咆哮するプレースタイルで「観る卓球」の面白さを体現してきた選手が、退団を発表した。
昨季の4thシーズン、神はキャプテンでありながら、ファイナルも含めて22試合、シングルスで一度も出場機会がなかった。
私が、神に話を聞きたいと思ったのは、ベンチ入りから外れた後もチームに帯同し、会場入口でお客さんにサンクスカードを手渡しし、試合前は客席で応援団に声をかけながら、ずっと会場に足を運んだファンとコミュニケーションをとり続けていたからだ。
神にしかできないコート外の仕事に、生き生きとしているようにさえ見えた。
写真:神巧也/提供:シゲマツマコト
でも、そんな簡単に割り切れるものじゃないはずだ。
だって彼は4年前、会社員の立場を捨て、ラケット1本でプロになることを決めたのだから。
退団の理由を聞いた。
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悔しいシーズンだった
「悔しいシーズンでした。勝負の世界でプロとしてやっていてシングルスに1試合も出られなくて満足していたら、選手として終わりだと思います」
厳しい表情で昨季を振り返る神。
不調に陥ったタイミングは、わかりやすくコロナ後からだ。
コロナ禍がやってくる直前の2019年、自身のキャリアハイとなるTリーグ最多勝13勝を挙げ、リーグ後期のMVPも獲得していた。
オフシーズンには積極的に国際大会にも出場を続け、2019年12月時点の世界ランキングは自身最高の44位まで上がった。
写真:神巧也 2019-2020シーズン/提供:©T.LEAGUE
そして、コロナ禍がやってきた。
約1ヶ月半ラケットを握れなかった。
もちろん、神に限ったことではない。
しかしトップ選手の中でも、練習と試合を重ねて感覚を補うタイプの神には、そのブランクは残酷に影響した。
「全てが言い訳になってしまうんですが」と断った上で、神は口を開いた。
「僕はボールタッチのセンスがある選手ではない。だからこそ、他の選手より練習したり工夫したり、たくさん試合に出たりしてきました。2週間以上休むと本当に感覚がなくなってしまうんです。」
写真:神巧也/撮影:ラリーズ編集部
焦ってしまった
練習を再開したときに焦ってしまった、と神は振り返る。
ヨーロッパを観ると、コロナ前まで同じくらいの位置だと思っていたアントン・ケルベリ(スウェーデン)や邱党(キュウダン・ドイツ)などが、一気に腕を上げたように見えた。
「俺も、ここからだ」
Tリーグ3rdシーズンに向け、練習メニューとトレーニングの量を増やした途端、身体が悲鳴を上げた。持病の腰痛が再発したのだ。
「腰椎椎間板症を持ってるんですけど、この数年はうまく付き合えていたんです。焦ってしまったんですね」
写真:神巧也 2019-2020シーズン/撮影:保田敬介
心に穴が空いたよう
日常生活でもベッドから起きられないほどの痛みが不定期にやってくる。
ひどいときは車椅子での移動になるほどだった。
練習に行くのが辛く、朝食が喉を通らない。練習を途中で切り上げる日もあった。
それまでの神には考えられなかったことだ。
一年前、観衆に向かって咆哮していたキャリアハイの自分が嘘のように、選んだプロ卓球選手の厳しさが身にしみた。
「身体がしんどくなると、メンタルもしんどくなって。心に穴が空いたようでした」
写真:神巧也/撮影:ラリーズ編集部
出場試合数が激減
それはわかりやすく、Tリーグでの神の戦績にも表れている。
コロナ禍での3rdシーズン、神はシングルス12戦に出場し、3勝9敗。
9敗のうち、ゲームオールデュースで3連敗している。
前年、最多勝だった2ndシーズンは、最終ゲームの勝率が8割超えだった男が、である。
そして、4thシーズンの昨季は、ダブルスで1試合のみの出場に終わった。
少しずつ再開されてきた国際大会も、隔離期間を考えると、頻繁には出られない。
2019年と比較すると、2021年の神の年間試合数は1/10以下だった。
試合に出なければ、感覚は他選手より早く落ちる。
いったん波に乗ると手をつけられない男だが、しかし、目の前の海はずっと凪いでいた。
出ない選手は、吠えられない。
チームの充実とキャプテンの孤独
Tリーグ男子は、4チームしかない。各チーム登録人数上限12人に対して、シングルスで出場できるのは毎試合たった3人だけだ。
昨季4thシーズンのT.T彩たまは、丹羽孝希の加入、曽根翔・篠塚大登の成長、松平健太、上田仁の充実など、育成と強化が実を結び、4年目にして初のファイナルに出場、2位でシーズンを終えた。
写真:ホーム最終戦を終えてファンに挨拶をするT.T彩たま/撮影:ラリーズ編集部
神が出場できなくても、キャプテンとしての仕事は毎日あった。
次の日の予定連絡、選手間の取りまとめなど、選手というより主務の業務をこなしながら、ふと感じた。
みんな遠いところに行っちゃったな、と。
チームが13連敗した3rdシーズン、自分が負けても松平健太が勝ってチームの連敗が止まったとき、涙が出そうなほど嬉しかったことを思い出した。
「ありがとう健太さん、回り込み一撃で決めてくれてって。そのあとファンの方たちと、良かったねって素直に喜び合えたのに」
写真:松平健太と肘タッチをする神巧也/撮影:ラリーズ編集部
弱いなあ自分
環境を変えるしかない、と思った。
「いろいろ言い訳を探している自分が嫌で情けなくて。自分の志や心持ちで打破できるほど、自分は強くないことも知りました。弱いなあ自分って。でも、環境が変われば、自分も変わるかもしれない」
これだけファンに愛された選手だ。チームに残ろうと思えばいくらでもその方法はあっただろう。
でも神は首を振る。
「これは、ラケット1本でプロになった人しかわからない気持ちかもしれません」
不意に、覚悟をのぞかせる。
そうだ。
せっかくなのに、なんて言葉は、4年前に会社員を辞めてプロ卓球選手の道を選んだときに置いてきたのだ。
「Tリーグに来て、一回高い山に挑戦して、ある程度登れて、そしてドンと落ちて。でもあの景色を知ったからこその今のつらさだと思うんです」
写真:4季目ベンチ外から応援する神巧也/撮影:ラリーズ編集部
勝つってこんなに嬉しいんだ
計4シーズンの中で最も嬉しかった瞬間を聞いてみた。
「それは迷わず言えます」即答だった。
「試合に勝ってベンチに戻るとき、その後ろにいるT.T彩たまの爆援團に“ヨー!”ってガッツポーズして、吠えるんです。そしたら、みんなが“おおお!”って盛り上がる、その瞬間です。あれは最高ですね、勝つってこんなに嬉しいんだって思いました。国際大会で勝つのも格上の選手に勝つのも嬉しいんですけど、勝った瞬間の喜びを誰かと共有できる嬉しさっていうのは、半端ないですね」
写真:神巧也 2019-2020シーズン/撮影:おたけさん
まるで心が溶けるようでした、と頬を緩めた神の表情は、Tリーグが創設にあたって目指したチームとファンの形が結実していたことを表している。
そして、ベンチ入りすらしていないキャプテンに向けて「ジンタク、キャプテンありがとう」という横断幕があったことは、チームの物語を応援する土壌が個人競技・卓球にも生まれ始めたことを示している。
写真:横断幕を掲げるT.T彩たま爆援團/提供:おたけさん
(後編は4月中に公開予定)