ラバー事業に新規参入も売れず 卓球事業存続へミズノが決行した"イチかバチかの賭け"[PR] | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:大島祐哉が使うミズノのラバー、Q5/撮影:田口沙織

卓球インタビュー [PR] ラバー事業に新規参入も売れず 卓球事業存続へミズノが決行した“イチかバチかの賭け”[PR]

2021.05.31

この記事を書いた人
Rallys副編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

ミズノの卓球事業をシューズ市場から徐々に拡大させていた玉山茂幸が、次に狙ったのはラバー市場だ。

卓球業界で売り上げを伸ばすなら市場の半分を占めるラバーに参入しないといずれ頭打ちする」と考えたからだ。また、シューズやウェアを通して、卓球業界にネットワークができ、「ミズノはラケットやラバーは作らないんですか?」という声も聞こえていた。

今思い返すと、非常に大きなチャレンジでした」。


写真:玉山茂幸(ミズノ)/撮影:槌谷昭人

ラバーは卓球独自の製品だ。シューズのように総合スポーツメーカーとして他競技の知見が活かせない。0からの挑戦は、試練の連続だった。

>>第2話はこちら 卓球中国代表とのシューズ契約が転機 ミズノ、卓球業界挑戦の歴史

満を持して出したラバー しかし売れなかった

ラバー事業を立ち上げた当初は、商品の方向性は玉山に任されていた。ノウハウもない中、手探りでのスタートだった。また、新規参入時のインパクトを強めるべく、業界内で情報が漏れないよう秘密裏にラバー開発を進めていた。クローズドなため、一般的な意見を収集できないまま開発が進んだ。

その結果、満を持して出したミズノラバーは、「ついにミズノが卓球用具を出した」と話題こそ呼んだものの、“ミズノファン”ら一般プレーヤーからは「硬すぎる」。評価を得られなかった。


写真:玉山茂幸(ミズノ)/撮影:槌谷昭人

立ち上げはめちゃくちゃ大変でした。トップ選手の声だけを聞いたのではサンプル数が少なかった。いい勉強になりました」。ミズノのラバーはほろ苦いデビューとなった。

「良い製品ができるまで新ラバーは出さない」腹括った2年間

2006年の初めてのラバー販売以降、ミズノは定期的に新製品を出し続けた。だが、市場での評価は厳しく、低迷を続けていた。

2013年、ついに玉山は決断した。

開発も僕も全てが手探りの状況で中途半端なラバーを出しても売れない。だったら1度、0から“良いのができた”と確信を持てるまで開発し直そう」。


写真:玉山茂幸(ミズノ)/撮影:槌谷昭人

腹を括った玉山は「納得行く製品ができるまで新しいラバーは出しません」と社内に宣言した。納得行くラバーができなかった2年間、宣言通り1つも新製品を出さなかった。イチかバチかの賭けだった。

ラバー事業に対し社内外から厳しい声が聞こえてきた。「早く製品を出したい。でも今回は納得しきるまでやりきろう」。玉山も葛藤の中、覚悟を決めていた。

「もし撤退したら、協力してくれたみんなに迷惑がかかると思うと精神的に苦しかった。でも必死でした。まず、どんな実験をしたらどんな数値が出るか、ミズノのテクノロジーを活かして科学的な根拠・数値を積み重ねました。売れているラバーは何が良いのかも分析しました。すると“良いラバーとは何なのか”がわかってきた。そこからやっぱりモノが良くなっていきましたね」。

「頑張ってたらやっぱりみんな応援してくれる」

一方、用具を出したことによる良い影響もあった。「用具を発売してからシューズやウェアの売上が伸びた」。

シューズ、ウェアだけでなく、ミズノがラバー、ラケットと卓球用具を総合的に販売したことは、卓球界でのブランド認知に繋がり、徐々に売上が上がってきた。卓球をセールスしてみようという営業の機運も上がってきた。

だんだん社内外に応援してくれる人が増えていったのはすごく感じました。頑張ってたらやっぱりみんな応援してくれるんですよね」。卓球事業の最前線で戦ってきた玉山は感慨深げに振り返った。

GFシリーズで“反撃開始”

2014年12月、機は熟した。キャッチフレーズは“反撃開始”。ミズノは新ラバー「GFシリーズ」を世に送り出した。これがミズノラバー初のヒット作となった。


写真:ミズノのGFシリーズ/提供:ミズノ

GFシリーズが売れたときは本当に嬉しかった」。玉山は開発と共に試行錯誤した苦しい2年間を乗り越えた喜びを口にした。

「GFシリーズが売れてなかったらたぶん僕たちはラバー事業を断念せざるを得なかった。それぐらいミズノラバーは存在感がなかったんですよ。首の皮一枚繋がりました。でも、ミズノファンのために良いモノを出して、みんなに喜んでもらいたいという情熱があった。だから苦労より夢や希望が勝っていた。今考えたらよくやってたなと思います」と玉山は笑った。


写真:玉山茂幸(ミズノ)/撮影:槌谷昭人

GFシリーズのヒットをきっかけに、ミズノは新たな挑戦に乗り出す。

ミズノは、それまでラバーの製造をOEM先に任せていたが、2015年、自社でのラバー開発をスタートさせる。

ついに、ものづくりのDNAを誇る総合スポーツメーカーが、自らの開発力でラバー開発と製造に乗り出したのだ。そこで生まれたのが大島祐哉が使用するQシリーズだ。

(第4話 「30点のラバー、これじゃあ使えません」ミズノ開発陣と大島祐哉、ともに歩んだ苦悩の2年間 に続く)

大島祐哉インタビュー


写真:大島祐哉(木下グループ)/撮影:田口沙織

>第1話 「何かを捨てなきゃ無理」“努力の天才”大島祐哉、夢を夢で終わらせない目標達成の思考法

>>第2話 急成長の代償で五輪選考レース脱落 “抜け殻になった”大島祐哉が再び前を向いた理由

>>第3話 「僕にしかできない最高の形での恩返し」大島祐哉を掻き立てる“最後の目標”

特集・なぜ大島祐哉はミズノを選んだのか


写真:大島祐哉(木下グループ)/撮影:田口沙織

>>なぜ大島祐哉はミズノを選んだのか

取材:槌谷昭人(ラリーズ編集長)