文:ラリーズ編集部
9月、東山高校へ取材に伺った際、宮木操監督の「大島が頑張らなあかん」という言葉が印象的だった。大島祐哉(木下グループ)に話を聞きたいと思った。
大島は東山高校卒業時、ある目標を掲げた。
「大学4年間で絶対世界選手権の日本代表になる」。
誰も大島が日の丸を背負う存在になるとは想像すらしていなかった。しかし、2015年、大島は世界選手権代表の座を掴み取り、2017年には日本勢48年ぶりの世界選手権ダブルス銀メダルを獲得し、“努力の男”として一躍脚光を浴びた。
大島は高い目標に向け、どのように努力し、達成してきたのか。
そして今、思い描く“最後の目標”とは。
明日より3本の大島祐哉特集をお送りする。
>>“オールフォア”の東山高校卓球部は、常にPDCAを回す理論派集団だった
このページの目次
「何かを捨てなきゃ無理」“努力の天才”大島祐哉、夢を夢で終わらせない目標達成の思考法
>>「何かを捨てなきゃ無理」“努力の天才”大島祐哉、夢を夢で終わらせない目標達成の思考法
急成長の代償で五輪選考レース脱落 “抜け殻になった”大島祐哉が再び前を向いた理由
急成長の代償で五輪選考レース脱落 “抜け殻になった”大島祐哉が再び前を向いた理由
「僕にしかできない最高の形での恩返し」大島祐哉を掻き立てる“最後の目標”
>>「僕にしかできない最高の形での恩返し」大島祐哉を掻き立てる“最後の目標”