その類まれなるボールタッチから“天才”の名を欲しいままにしてきた丹羽孝希は、17歳でロンドン五輪代表に初選出、21歳のリオでは団体銀メダル獲得の立役者となった。25歳で迎えた2020年1月6日、東京五輪代表候補選手と正式に発表され、3大会連続の五輪代表の座を射止めた。
日本卓球史上最も熾烈と言われた代表選考レース時、丹羽は何を感じ、そして代表となった今何を思うのか。前編では五輪代表レース時の思いに迫る。(取材:武田鼎/ラリーズ編集部)
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順調なスタートを切った五輪選考レース
写真:穏やかに心境を語る丹羽孝希/撮影:伊藤圭
東京五輪の卓球日本代表枠はたったの3枠。2020年1月発表の世界ランキング上位2人にシングルス代表権が与えられ、団体戦に出場する3人目は強化本部の推薦によって選ばれる。
「3番目になると選ばれる自信がなかった。2番目までは無条件で出られるのでそこを目指すしかなかった」。
丹羽はこの1年間、世界ランキングで日本人上位2人に入るべく世界中を転戦した。4月のアジアカップでは張本智和を下し3位入賞、続く世界選手権でも2大会連続で日本人最高位のベスト8に入り順調なスタートを切った。
写真:世界卓球2019での丹羽孝希/撮影:田村翔(アフロスポーツ)
「世界卓球前は試合がなくて1ヶ月みっちり練習できる。まとまった練習時間を取って、その大会に向けて仕上げていく。そういう時の僕は強い。世界卓球の個人戦ではそれが実証されていると思います」と口調は穏やかながらも内に秘めた闘志をのぞかせる。
7大会連続初戦敗退 苦悩の日々
写真:過酷な代表争いを振り返る丹羽孝希/撮影:伊藤圭
現在の世界ランキング方式は、大会に出れば出るだけ高ポイント獲得の可能性が増える。そのため必然的に出場大会数は多くなった。
世界選手権後も5月の中国を皮切りに香港、札幌、韓国、豪州、マレーシアそして欧州と毎週のように世界各地を飛び回った。過酷な連戦の中、6月のジャパンオープンからは初戦を突破できない悪夢のような日々が続いた。
写真:ジャパンオープンでの丹羽孝希/撮影:松尾/アフロスポーツ
「今のランキングシステムは上位8大会を見るのでちょっと計算してしまう。この大会は特に大事だ、などと考えてしまうんですよね。そうやって計算してしまうと焦ってしまうんです、ヤバいヤバいと」。
9月には片道40時間をかけ、南米パラグアイでの試合に自費でエントリーするもまさかの1回戦敗退。気づけば7大会連続で初戦負けを喫していた。「なんでパラグアイまで自費参加して行ってんの…」と現実から目を背けたくなった。
「いつも通りすること。勝つときと負けるときは運がある」
写真:重圧と戦い続けた/撮影:伊藤圭
連戦の合間、束の間の休息も独りになると孤独な五輪代表レースの現実が重くのしかかり、時にネガティブな思考に陥ることもあった。そんなとき丹羽は映画館に通い詰めた。
「『アラジン』は字幕も吹き替えも合わせて3回観ました。それから4DX3Dって揺れるやつも。『翔んで埼玉』、『ONE PIECE STAMPEDE』も2回ずつ劇場で観ました」と代表争いの中、連敗続きでどん底だった時期を振り返った。
「映画は2時間何も考えなくていい。普段は家にいるときも卓球のことを考えてしまう。そういう時に映画館に行って、何も考えない時間が幸せだったりする」。
写真:映画やディズニーで心を休めた/撮影:伊藤圭
丹羽には更にもう一つ意外なリフレッシュ法があった。「月に1回ディズニーに一人で行ってました。現実逃避のために夢の国行って。特に何かに乗るわけじゃなくてボーっとしてましたね。あの音楽を聴いてるだけで安らぐというか。好きなのはランドよりシー。大人の雰囲気あるじゃないですか」。
一般人には想像を絶するプレッシャーを時には受け流し、そしてまた正面から向き合う。丹羽の2019年はその繰り返しだった。
「焦って練習量あげたところであんまり意味はない。いつも通りすること。勝つときと負けるときは運があるので」。追い込まれても冷静に自らと向き合える。それが丹羽の本当の強さなのかもしれない。
勝負をかけたドイツOP 無情な結果
写真:選考レースについて語る丹羽孝希/撮影:伊藤圭
10月のスウェーデンOPで8大会ぶりに1回戦を突破し、苦しい連敗を脱出した。続くドイツOPでも初戦を勝利し、2回戦で韓国の鄭栄植(チョンヨンシク)と相まみえた。
高い世界ランキングポイントが得られるプラチナ大会のドイツOPは、代表争いを左右する大事な大会だった。丹羽もこの一戦の重要性を重々理解していた。「勝てたらT2ダイヤモンドやグランドファイナルに出られて、ほぼ2番手に行ける立場と分かっていた。この1戦が五輪代表を決めるくらいの集中力で戦った」。
写真:ドイツOPでは普段冷静な丹羽がガッツポーズも見せた/撮影:千葉格/アフロ
しかし無情にも試合はゲームカウント3-4で敗戦に終わった。ドイツOP終了時点で代表2枠目を争う水谷隼とのポイント差は465Pt。獲得ポイントの大きいT2ダイヤモンド、グランドファイナルの出場権のない丹羽にとって、絶望とも言えるポイント差が広がっていた。
「本当に諦めかけてたんですよ、五輪を」
写真:当時の心境を吐露する丹羽孝希/撮影:伊藤圭
「11月初めの頃は気持ちのコントロールが難しく、あの時期は本当にきつかった。本当に諦めかけてたんですよ、五輪を。最悪このまま引退することになるかもしれない。卓球を辞めるかもしれないと思った。それで吹っ切れましたね。すると明らかにプレーが良くなった」。
11月中旬のオーストリアOPでは、世界卓球準優勝のファルク(スウェーデン)を下し、本来のプレーを取り戻しつつあった。卓球の復調と同時に選考レースの風向きも変わり始めた。
「オーストリアが終わって家でゆっくりしようと思った時に電話が来て、『T2出場が決まったから次の日出発』と。これで僕の立場が変わって、出るだけで逆転となった。そこからはもう一度頑張ろうとなりました」。
写真:拳を握る丹羽孝希(スヴェンソン・写真はT2ダイヤモンドシンガポール大会)/撮影:ラリーズ編集部
繰り上げ出場となった11月末のT2ダイヤモンドでカルデラノ(ブラジル)に勝利、12月の男子W杯では「自分のすべてをかけてプレーした」と初戦で李尚洙(イサンス・韓国)から勝利をもぎ取り、土壇場で丹羽が日本人世界ランク2番手に躍り出た。
写真:「李尚洙も非常に強い選手だったんですけど、あの一試合は大きかった」/撮影:アフロ
水谷か丹羽か。五輪代表レースの行方は丹羽に出場権のないグランドファイナルでの水谷の結果に委ねられた。丹羽は自宅でライブ配信を眺めた。水谷が1回戦で敗れた瞬間、丹羽の世界ランキング日本人2番目、つまり東京五輪代表選出が決定した。
五輪代表としての決意
写真:丹羽孝希/撮影:伊藤圭
「色んな事が頭の中を駆け巡りましたね。本当にこの一年苦しいことばかりで、一時は代表を諦めかけていた部分もあった。そういうことからやっと解放されたというのもあります」。
しかし余韻に浸る間もなく、丹羽は日の丸を、そして卓球界を背負う覚悟を決め、次を見据えている。
「五輪代表は責任感がある。また違う緊張感があります。結果で次の4年の卓球の価値が変わってしまう」。