小学生世代の全日本選手権のタイトル(ホープス・カブ・バンビ)を全て獲った“元祖怪物”が龍崎東寅(りゅうざきとんいん)だ。
新潟県・新発田ジュニア時代から“怪物”と話題となっていた龍崎は、中学からJOCエリートアカデミー(エリアカ)で腕を磨いた。エリアカでもカデットシングルス優勝、世界ジュニアダブルス準優勝と国内外で結果を残した。高3では初めて全日本選手権でベスト8とランク入りし、明治大学進学後もあわせて5年連続ランクに入る実力の持ち主た。
写真:2021年の全日本選手権での龍崎東寅(当時明治大学4年)/撮影:ラリーズ編集部
見る者を魅了する豪快なラリーを持ち味としたプレースタイルと、その端正な顔立ちからファンも多く、大学卒業後の進路には注目が集まっていた。
2021年4月、龍崎が進路に選んだのは、“三井住友海上火災保険株式会社所属の卓球選手”だった。なぜ龍崎は卓球界では異例のキャリアを選択したのか。本人に話を聞いた。
【龍崎東寅(りゅうざきとんいん)】1998年12月29日生まれ。新潟県出身。小学生時代は、全日本ホカバすべてで優勝を飾る。中学からはJOCエリートアカデミーに進み国内外で成績を残す。高校3年生の全日本選手権一般シングルスで初めてランク入りし、明治大学進学後もあわせて5年連続でランカーに輝く。2021年4月から社会人となり、三井住友海上火災保険株式会社に所属し、プレーしている。Tリーグ4thシーズンからは岡山リベッツ入りが決まっている。
三井住友海上火災保険株式会社所属の卓球選手
写真:龍崎東寅(三井住友海上火災保険株式会社)/撮影:槌谷昭人
今は、プロ卓球選手という肩書になるのでしょうか?
仕事の方は研修も終わって、保険について今は勉強しています。
「今は保険についていろいろなことを覚えている、という感じです」
卓球業界では珍しい進路の三井住友海上へは、どういう経緯で入社することになったのでしょうか?
世界で活躍するという自分の卓球の目標に向けて、強化費などの支援をいただけることや、競技引退後、会社に残って仕事ができることはやっぱり大きいと自分の中で考えていたこともあります。
「自分の目標は世界で活躍することです」
全日本ホカバ全制覇 強くなれた理由
写真:龍崎東寅(三井住友海上火災保険株式会社)/撮影:槌谷昭人
父が新発田ジュニアで卓球のコーチをしてたので、小さい頃から練習を見に行ってて、気づいたらラケットを握ってましたね(笑)。
「気づいたら卓球のラケットを握ってましたた(笑)」
小学1年生の時はベスト4だったのですが、試合中に負けそうになって泣きながらプレーしていました。そこですごい悔しい思いをしたので、絶対次は優勝してやるという気持ちで臨み、2年目は優勝できました。「絶対優勝してやる」という気持ちがすごく強かったことが優勝できた要因かなと思います。
「試合中に負けそうになって泣いてましたね」
また、勉強にも力を入れているので、どちらも頑張れると思いエリアカを選びました。
また、僕が所属していたときは選手が十数人いて、各世代のトップ選手が集まっていました。他にも中国人コーチもいらっしゃり、その高いレベルの中でできたことが、自分の成長に繋がりました。
怪我も重なり苦しんだ時も
その頃は、怪我も重なってちょっと落ち込んだ苦しい時期でした。
写真:龍崎東寅(三井住友海上火災保険株式会社)/撮影:槌谷昭人
辞めたいまではいかなかったですが、卓球をやってても全然勝てないしやってる意味あるのかな…と思うときはありました。
「怪我も重なってちょっと落ち込んだ苦しい時期でした」
高校最後の全日本もベンチに入ってもらってベスト8に入れた。お世話になっていたので絶対結果を出してやりたいと思っていた。そこは本当に嬉しかったですね。
そこまで、自信があまりなかったんですけど、自分でもやれるんだという気持ちはやっぱり大きくなりましたね。
「自分でもやれるんだ、と自信になりました」
高校最後の全日本で大きな自信を得た龍崎は、次なる進路に明治大学を選んだ。東京五輪代表の水谷隼(木下グループ)や丹羽孝希(スヴェンソンホールディングス)を輩出した言わずと知れた名門中の名門校だ。
そこで龍崎は卓球の新たな楽しさを知ることになる。そして、社会人となった今、新たな決意を胸に抱きプレーしている。
(インタビュー後編 「活躍して注目されたい」一流企業の名を背負い戦う龍崎東寅に芽生えた自覚 に続く)