卓球人のこだわりグッズを紹介する「俺の卓球ギア」。
第104回となる今回は、関西卓球アカデミーに所属する実業団選手、金森翼(かなもりつばさ)の卓球ギアを紹介する。
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このページの目次
金森翼の卓球ギア
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)の卓球ギア/撮影:槌谷昭人
戦型
右シェーク裏裏ドライブ型
ラケット
水谷隼(FL・バタフライ)
ラバー
フォア・バック:スーパーヴェンタス(特厚・TSP)
ユニフォーム
関西卓球アカデミーのユニフォーム
※ギアは2021年4月時点のもの
叔父がきっかけで始めた卓球
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)/撮影:槌谷昭人
島根県に生まれた金森が卓球を始めたきっかけは叔父の存在だ。
「小学生時代、ずっと家でゲームばかりしていたのですが、小3のときに平田仲良しクラブという卓球チームを叔父が作ってくれました。そこに仲の良かったゲーム友達を呼んで卓球をしていました。卓球が楽しすぎましたね」と笑顔で振り返った。
また、小学5年生が自身の卓球人生の転機だと語る。
「卓球を始めたころは全然勝てなくてずっと泣き崩れていました。小学校5年生で初めて島根で2位になれて全国予選を通過できて自身がついたのか、そこからずっと島根1位を取れるようになりました。全国に出れるのが嬉しくて、島根では絶対勝ちたいという気持ちでやっていました」。
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)/撮影:槌谷昭人
金森は続けて、小学生らしいエピソードも教えてくれた。
「島根で優勝して予選を通過したら気が緩んでしまって、全国大会に向けての準備はほとんどしたことがないです(笑)。なのでずっと全国は1回戦で負けてましたね」。
“ファイヤー金森”誕生秘話
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)/撮影:槌谷昭人
金森は、平田中学、出雲北陵高校と島根県で中高を過ごし、大学は関西の大阪経済法科大学に進んだ。
「一番楽しかったです。お祭りみたいで」と大学時代の関西学生リーグを懐かしそうに思い返した。
「大学4回生のときは一番勝率が良かったので覚えています。春が5勝2敗で、秋が7勝0敗だったのですごい気持ちよかった。チームは2部に落ちちゃったんですけど、自分の中では気持ちよく卒業できました」。
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)/撮影:槌谷昭人
また、金森はなぜかガッツポーズ時に「ファイヤー」と雄たけびをあげる。叫び始めたきっかけを尋ねてみた。
「高校時代、チームメイトの面白い子がファイヤーと言ってた。僕自身も面白いなと思って、ファイヤーだけもらって大学の新人戦くらいからファイヤーと叫んでました。そこから“ファイヤー金森”と言われるようになりました(笑)」。
「卓球離れて卓球やってないとダメだと思いました」
大学卒業後は、関西卓球アカデミーの系列である藤ミレニアムで介護の仕事に就きながら、実業団選手としても3年間ほどプレーしていた。そこからクローバー歯科に転職するも1年後に退職し、卓球とは無関係の職業についた。しかし、そこも2ヶ月で退職してしまう。
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)/撮影:槌谷昭人
「やっぱり僕はラケット握ってないとダメだなって、たった2ヶ月だけなんですけど思いました。ラケット握ってないと落ち着かない」。
自分の中での卓球の大きさに気づいた金森は、関西卓球アカデミーの伊藤弘美さんからの誘いもあり、出戻りする形で関西卓球アカデミーのコーチと藤ミレニアムでの介護職で働きながら、実業団選手としてプレーを続けている。
金森の使用用具
金森の使用用具は、水谷隼のラケットに両面スーパーヴェンタスだ。
写真:金森翼(関西卓球アカデミー)/撮影:槌谷昭人
「このラケットで結果が出せているので、試合の時はこのラケットで出ています。でもラケットはコロコロ変えてしまう浮気が激しいタイプです(笑)。ラバーは、このラケットと合ってて食い込む感じがすごい好きで安いのもあり、使わせてもらってます」と使用理由を教えてくれた。
「日本リーグが近いので、強いチームになって一部に上がれるように頑張りたいと思います」と目標を語ってくれた金森の卓球に今後も注目だ。
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