卓球界を裏方で支える"青森山田最後の世代"高橋徹「結果を残したいなら夢中になるしかない」 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

写真:高橋徹(株式会社LaboLive)/撮影:ラリーズ編集部

卓球インタビュー 卓球界を裏方で支える“青森山田最後の世代”高橋徹「結果を残したいなら夢中になるしかない」

2021.06.03

この記事を書いた人
Rallys副編集長。学生卓球を愛し、主にYouTubeでの企画を担当。京都大学卓球部OB。戦型:右シェーク裏裏

青森山田高校は、東京五輪代表の水谷隼(木下グループ)や丹羽孝希(スヴェンソン)らを輩出し、日本を卓球大国に押し上げてきた。卓球界には至るところに青森山田OB・OGがおり、“最強養成機関”青森山田の系譜が息づいている。

青森山田卒業生の中で、プレーヤーとしてではなく、一人の社会人として卓球界に貢献する男がいる。

株式会社LaboLive(ラボライブ)の高橋徹さんだ。

今年の全日本チャンピオン及川瑞基(木下グループ)と青森山田で同級生だった高橋さんは、現在、卓球の試合をインターネットでライブ配信するラボライブに勤めている。全日本選手権や実業団の試合、高校生の全国大会・地方大会など全国各地を飛び回り、試合を中継し、卓球界を裏方からサポートしている。

今回は、青森山田中高、中央大学と強豪校でプレーした学生時代、現在のラボライブでの生活と、高橋さんの卓球ヒストリーを前後編に渡って振り返る。


【高橋徹(たかはしとおる)】1997年4月7日生まれの24歳。青森山田中高卓球部では、及川瑞基、三部航平、一ノ瀬拓巳と同級生。2011年カデットダブルス優勝、2015年インターハイ団体優勝。中央大学卒業後は、卓球の試合をインターネットでライブ配信する株式会社LaboLiveに勤める社会人2年目。中央大学卓球部のコーチも務める。愛称は“テツ”。

小6の3月に突如決まった青森山田中学進学

――いつも試合会場ではお世話になっております!

強豪校でプレーしていた高橋さんに、まずは学生時代の話をお伺いできればと思います。

高橋徹さん:こういうインタビューは初めてで、今、かなり緊張しています。


写真:いつもより心なしか表情が硬い高橋徹さん/撮影:ラリーズ編集部

――気楽にお願いします(笑)

そもそも高橋さんはどういう経緯で青森山田中学に入学されたんですか?

高橋徹さん:もともとは、地元福井県の中学校に行く予定でした。ただ、小6の3月、東京オープンに出た際、いきなり青森山田から声がかかって練習に行って、そこから試験を受けて入学しました。

…今思うと、1ヶ月で人生変わりましたね(笑)

――スピード感すごいですね…。

青森山田に入学してみてどうでしたか?言わずと知れた超強豪校ですが。

高橋徹さん:最初は本当に練習がキツすぎて、練習が終わって風呂に入ってすぐに寝る生活でした。中2からは少し慣れて、自主練もできるようになりました。
――練習キツいエピソードは、これまで取材した青森山田OBの皆さんが口を揃えておっしゃっていました。

あとは寮生活も特徴としてあげられる方が多いです。

高橋徹さん:中学生から大学生までが一緒の寮で生活していて、みんな仲良くしてくれたので、本当に楽しかったです。

町(飛鳥)さんとか日鉄物流の藤木(祥二)さん、原田鋼業の下山(優樹)さんによく面倒を見てもらって、ずっとついていってました。


徐々に笑顔で答えてくれる高橋さん

先輩に丹羽、町、吉田、森薗、同級生に及川、三部

――今、名前の出た町選手や、丹羽選手、吉田選手、森薗選手らそうそうたる顔ぶれが高橋さんの近い年代の先輩ですが、印象はどうでしたか?
高橋徹さん:最初は怖いなという感じでした(笑)。「あ、雑誌に載ってた人だ」みたいな(笑)。


私からすれば高橋さんも雑誌に載ってた有名人です…

高橋徹さん:青森山田は実力主義。そのため、中学生の頃、僕は強い先輩とあまり練習する機会はなかったです。

当時は同級生の三部(航平)と及川(瑞基)が僕らの世代の全国1位2位だったので、彼らが森薗さんや高校生と練習してましたが、僕は下の方でやってました。


写真:全日本ダブルスでチャンピオンに輝いている三部航平と及川瑞基(ともに専修大)/撮影:ラリーズ編集部

――同学年には、今もプロで活躍する及川選手、実業団でプレーする三部選手、一ノ瀬(拓巳)選手と、第一線で戦うメンバーがいます。彼らの存在は、学生時代大きかったですか?
高橋徹さん:そうですね、特に一ノ瀬は正直僕と同じくらいのレベルだったので、ライバル意識を持ってお互い頑張ってました。

中1からご飯に行くにしても、学校行くにしても、ずっと4人で一緒に行動していましたね。


写真:中央大学時代の一ノ瀬拓巳 高橋さんとは中高大と10年間ともにプレーした/撮影:ラリーズ編集部

青森山田“最後の世代”として


写真:インターハイ優勝の写真 左から2番目が高橋さん/撮影:ラリーズ編集部

――高橋さんらが、いわゆる青森山田“最後の世代”、本格的な強化がストップした代ですよね。
高橋徹さん:はい、僕が高校に入学したときに決まって、「僕ら4人で最後になるね」という話はよくしていました。
――青森山田の歴史を背負った最終学年のインターハイは、団体優勝で有終の美でした。
高橋徹さん:プレッシャーが凄かったです。

ただ、僕の中では、大会前から4人で協力して優勝するためにはどうするかを考えて行動したり、試合前に4人で各々の対戦相手の研究をしたりできたのが、なんだか楽しかったですね。


写真:インターハイ優勝後、OBも交えての記念写真/提供:一ノ瀬拓巳

――青森山田での一番の思い出となると最後のインターハイですか?
高橋徹さん:やっぱりそうなりますね。試合前にはOBの方から激励のメッセージをいただいたり、試合も歴代OBの方がたくさん応援にいらっしゃってたりした中での優勝だったので。


写真:インターハイ優勝後、OBも交えての自撮り写真/提供:一ノ瀬拓巳

高橋徹さん:あとは個人戦だと、中学生のとき、カデットで一ノ瀬とのダブルスで日本一になったのも印象深いです。それが初めての個人戦での全国優勝でした。


写真:カデット優勝のメダル/撮影:ラリーズ編集部

――(出てくる卓球話の次元が高すぎる…!)
高橋徹さん:確かそのときは、決勝の三部・及川戦も含めて、1ゲームも取られないで優勝したんですよ(笑)。

中学時代は、僕らが団体戦のダブルスで起用されていたので、練習頻度が多かったのもあります。

何より一ノ瀬を本当にライバル視していて、どこが弱いのか強いのかをお互い隠れながら研究し合ってた。それでダブルス組んだら、パートナーのやりたいことが全てわかって、上手く噛み合ったんだと思います。


持参いただいた卓球人生の思い出の品のレベルが高すぎる件について

全日本予選敗退で挫折 「もう日本代表は無理だ」

――青森山田高卒業後は、関東学生1部の強豪・中央大学に一ノ瀬選手とともに進学してプレーしました。
高橋徹さん:大学では…ダメダメでしたね。

1年生の頃はレギュラーで出られたのですが、2年の全日本選手権の予選、決定戦で負けて全日本に出られなかった。そこからモチベーションが一気に下がってしまいました。


写真:中央大学同期との1枚 男子最奥が高橋さん/提供:本人

――どうして全日本予選の敗退がそこまで響いたのでしょうか?
高橋徹さん:僕は中2からずっと全日本に出てたので、予選で負けること自体考えられなかったのもあります。

また、ふと周りを見ると、三部と及川はどんどん伸びていたし、もっと上の世代とも戦わないといけない。そう考えたときにもう日本代表は無理だと確信してしまった。

そこから卓球で高校時代のようにストイックに自分を追い込めなくなってしまった。大学でプレーヤーは終えようと思いました。

――同級生の及川選手、三部選手、一ノ瀬選手はプレーヤーの道を進む中、プレーヤーを大学で終えるという決断に後悔はなかったですか?
高橋徹さん:後悔はしていないです。

青森山田で優勝することだけを真剣に考える生活をしていたので、やり尽くしたという思いもあります。何より今、奇跡的に仕事として卓球に携われていますし。

――今、ラボライブで仕事をしていて、卓球生活が活きていると感じていますか?
高橋徹さん:僕は青森山田の中でも下の方だったので、どう頑張って追いつくかを考えてましたし、努力しないと上に追いつかない中でやってきました。

今は卓球ではなく仕事ですが、人の3倍努力するだったり、どんなに辛くても目標に向かって頑張るだったり、根性は結構ある方なので、卓球部での日々が活きていると感じています。

卓球も同じですが、結果を残したいなら夢中になるしかない。そうすれば絶対に結果はついてくる。夢中でやる。それだけと思います。

卓球人生を夢中で駆け抜けた高橋さんが、次なる活躍の場として選んだのがラボライブだった。

「大学までは見る側ですらなくて映る側だった」と語る高橋さんのラボライブでの仕事とは。

(後編 異例のキャリアを歩む卓球エリート 青森山田出身・高橋徹の“アスリート経験を仕事に活かす術” に続く)

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取材協力:LaboLive

撮影場所協力:MI青春卓球CLUB