青森山田高校は、東京五輪代表の水谷隼(木下グループ)や丹羽孝希(スヴェンソン)らを輩出し、日本を卓球大国に押し上げてきた。卓球界には至るところに青森山田OB・OGがおり、“最強養成機関”青森山田の系譜が息づいている。
青森山田卒業生の中で、プレーヤーとしてではなく、一人の社会人として卓球界に貢献する男がいる。
株式会社LaboLive(ラボライブ)の高橋徹さんだ。
今年の全日本チャンピオン及川瑞基(木下グループ)と青森山田で同級生だった高橋さんは、現在、卓球の試合をインターネットでライブ配信するラボライブに勤めている。全日本選手権や実業団の試合、高校生の全国大会・地方大会など全国各地を飛び回り、試合を中継し、卓球界を裏方からサポートしている。
今回は、青森山田中高、中央大学と強豪校でプレーした学生時代、現在のラボライブでの生活と、高橋さんの卓球ヒストリーを前後編に渡って振り返る。
【高橋徹(たかはしとおる)】1997年4月7日生まれの24歳。青森山田中高卓球部では、及川瑞基、三部航平、一ノ瀬拓巳と同級生。2011年カデットダブルス優勝、2015年インターハイ団体優勝。中央大学卒業後は、卓球の試合をインターネットでライブ配信する株式会社LaboLiveに勤める社会人2年目。中央大学卓球部のコーチも務める。愛称は“テツ”。
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小6の3月に突如決まった青森山田中学進学
強豪校でプレーしていた高橋さんに、まずは学生時代の話をお伺いできればと思います。
写真:いつもより心なしか表情が硬い高橋徹さん/撮影:ラリーズ編集部
そもそも高橋さんはどういう経緯で青森山田中学に入学されたんですか?
…今思うと、1ヶ月で人生変わりましたね(笑)
青森山田に入学してみてどうでしたか?言わずと知れた超強豪校ですが。
あとは寮生活も特徴としてあげられる方が多いです。
町(飛鳥)さんとか日鉄物流の藤木(祥二)さん、原田鋼業の下山(優樹)さんによく面倒を見てもらって、ずっとついていってました。
徐々に笑顔で答えてくれる高橋さん
先輩に丹羽、町、吉田、森薗、同級生に及川、三部
私からすれば高橋さんも雑誌に載ってた有名人です…
当時は同級生の三部(航平)と及川(瑞基)が僕らの世代の全国1位2位だったので、彼らが森薗さんや高校生と練習してましたが、僕は下の方でやってました。
写真:全日本ダブルスでチャンピオンに輝いている三部航平と及川瑞基(ともに専修大)/撮影:ラリーズ編集部
中1からご飯に行くにしても、学校行くにしても、ずっと4人で一緒に行動していましたね。
写真:中央大学時代の一ノ瀬拓巳 高橋さんとは中高大と10年間ともにプレーした/撮影:ラリーズ編集部
青森山田“最後の世代”として
写真:インターハイ優勝の写真 左から2番目が高橋さん/撮影:ラリーズ編集部
ただ、僕の中では、大会前から4人で協力して優勝するためにはどうするかを考えて行動したり、試合前に4人で各々の対戦相手の研究をしたりできたのが、なんだか楽しかったですね。
写真:インターハイ優勝後、OBも交えての記念写真/提供:一ノ瀬拓巳
写真:インターハイ優勝後、OBも交えての自撮り写真/提供:一ノ瀬拓巳
写真:カデット優勝のメダル/撮影:ラリーズ編集部
中学時代は、僕らが団体戦のダブルスで起用されていたので、練習頻度が多かったのもあります。
何より一ノ瀬を本当にライバル視していて、どこが弱いのか強いのかをお互い隠れながら研究し合ってた。それでダブルス組んだら、パートナーのやりたいことが全てわかって、上手く噛み合ったんだと思います。
持参いただいた卓球人生の思い出の品のレベルが高すぎる件について
全日本予選敗退で挫折 「もう日本代表は無理だ」
1年生の頃はレギュラーで出られたのですが、2年の全日本選手権の予選、決定戦で負けて全日本に出られなかった。そこからモチベーションが一気に下がってしまいました。
写真:中央大学同期との1枚 男子最奥が高橋さん/提供:本人
また、ふと周りを見ると、三部と及川はどんどん伸びていたし、もっと上の世代とも戦わないといけない。そう考えたときにもう日本代表は無理だと確信してしまった。
そこから卓球で高校時代のようにストイックに自分を追い込めなくなってしまった。大学でプレーヤーは終えようと思いました。
青森山田で優勝することだけを真剣に考える生活をしていたので、やり尽くしたという思いもあります。何より今、奇跡的に仕事として卓球に携われていますし。
今は卓球ではなく仕事ですが、人の3倍努力するだったり、どんなに辛くても目標に向かって頑張るだったり、根性は結構ある方なので、卓球部での日々が活きていると感じています。
卓球も同じですが、結果を残したいなら夢中になるしかない。そうすれば絶対に結果はついてくる。夢中でやる。それだけと思います。
卓球人生を夢中で駆け抜けた高橋さんが、次なる活躍の場として選んだのがラボライブだった。
「大学までは見る側ですらなくて映る側だった」と語る高橋さんのラボライブでの仕事とは。
(後編 異例のキャリアを歩む卓球エリート 青森山田出身・高橋徹の“アスリート経験を仕事に活かす術” に続く)
インタビュー動画はこちら
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取材協力:LaboLive
撮影場所協力:MI青春卓球CLUB