写真:石田眞行氏(石田卓球クラブ)/撮影:ラリーズ編集部
日本卓球界の人材輩出拠点が福岡県北九州市にある。その名は石田卓球クラブ。
代表の石田眞行(いしだまゆき・66)氏は地元百貨店の岩田屋(現岩田屋三越)勤務をしていた30代に卓球場を構え、40歳でサラリーマンを辞めて独立。以来30年以上に渡って、若き才能を育て続けてきた。
世界卓球選手権メダリストの岸川聖也、早田ひなや、Tリーグで活躍する田添健汰・響兄弟、現在日本リーグで活躍する多くの実業団選手が石田門下生だ。
写真:石田門下生の早田ひな/撮影:ラリーズ編集部
産婦人科の跡地を改装した小さな卓球場からスタートした指導体制は、今や卓球場2拠点に加え、中間東中、希望が丘高校と男女とも小学校から高校生までの一貫指導体制を確立し、各カテゴリで日本一となった実績を持つ。
小学生2年生までのバンビを妻千栄子さん、小3から中学生(中間東中)を長男の弘樹さん、高校男子を次男の真太郎さん、女子を眞行氏。そして三男の大輔さんは早田ひな選手の専属コーチを担当し、一家総出で福岡から世界のメダルを狙う。
日本の卓球を愛し、支え続ける「石田家の大将」にメダリスト育成の極意を聞いた。
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卓球ではメシを食えない時代の創業
自身もインターハイやインカレに出場し、実業団選手として活躍した石田氏は「1学年下の前原(正浩)さん(現・国際卓球連盟副会長)が努力の人だった。彼が猛練習をして28歳の時に遅咲きで全日本チャンピオンになったのを見て、自分は努力が足りなかった、いつか努力でチャンピオンになる強い選手を育てたいと思うようになった」とクラブ創設の原点を振り返る。
写真:前原正浩氏(国際卓球連盟 副会長)/撮影:ラリーズ編集部
20代で選手を引退した石田氏は、実業団の監督をしながら「いずれ自分の卓球場を作って独立する」と心に決め、着々と準備を進めた。百貨店マンをしながら、産婦人科の跡地を買い取って賃貸アパート経営をし、開業資金を貯めていったのだ。後にそのアパートを増築して出来たのが石田卓球クラブだ。
写真:石田卓球クラブ/撮影:ラリーズ編集部
サラリーマンをしながら35歳でオープンした卓球場は、石田さんの確かな指導力が評判を呼んだ。その後40歳で会社を辞めて独立、卓球場一本で生計を立てることになる。
そのまま会社に残れば管理職となり、サラリーマンの一つの目標であった年収1000万円も見える中で、高待遇を捨てての決断に周囲の誰もが反対した。今でこそ卓球場を設立して独立するケースは多いが「当時は卓球でメシを食える時代じゃなかった」と振り返る。
「(三男の)大輔に『貧乏で強くなるのと、金はあるけど弱いまま、どっちがいい?』と聞いたら『金持ちで強くなれるのがいい』と言われましてね(笑)。強化と経営を両立しなきゃと思いましたよ」。
「47歳まで7年間はお小遣いゼロ。一番遊びたい盛りにお酒も釣りも辞めた。今振り返るとよく子供3人大学まで行かせたなと思います」。
石田氏に地域密着で30年以上も事業を継続できている秘訣を問うと“百貨店時代にバイヤーとして活躍した経験”が役立ったという。
投資に対する回収を早めるため、いかに初期コストを抑えるか。自分の売上ノルマ十数億円に対して、フロアにどのくらいのコストをかけ、スタッフを何人配置すべきか。ショップとのタイアップによりWin-Winの関係を作れないか。
こうした百貨店バイヤーとしての経験を踏まえ、開業時も本来は2000万円以上かかる建設費用を、知人の協力などを得て、半分以下に抑えることに成功した。また、卓球メーカーとのタイアップは当時大学の先輩がいたニッタク(日本卓球株式会社)1社と決めることで多くのバックアップを受けることが出来たという。
そして取引先とは信頼関係を構築し、結果で応え続ける。その結果、末永く付き合いに発展する。まさにビジネスの基本だ。
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ブレない小中学生強化は“荻村先生”からの教え
石田氏にとってのメインの顧客は誰か?それは創業以来ブレることはない。同氏が最も力を入れるのは「子供たちの強化」だ。
そのモチべーションの原点は元世界王者で日本人初の国際卓球連盟(ITTF)会長も務めた荻村伊智朗(おぎむらいちろう)氏の言葉にある。
写真:国際卓球連盟会長として卓球界の発展に貢献した故・荻村伊智朗氏/提供:アフロ
「荻村先生に日本の卓球を強くするため“年間1300時間”練習するクラブを作って欲しいと言われました。学校もある中でこの練習量の確保はかなり厳しいですよ。でもそうしないと世界で勝てない。練習の質を上げろと言われるけど、まずは量。そのうえで質も上げていかないといけないんです。(Tリーグチェアマンの松下)浩二さんも荻村さんから“ドイツに負けないリーグを”と言われて今、Tリーグを頑張っている。僕も同じように荻村さんの言葉に大きな影響を受けていますよ」。
写真:石田卓球クラブ/撮影:ラリーズ編集部
卓球場の収支だけを考えれば、レッスン単価の高い大人を優遇する選択肢もあったはずだが、石田は子供優先を貫いた。そのためにクラブに関わる全ての大人たちに協力を求めた。
「地元のママさんたちにも『土日は子供の強化を優先させて欲しい』と伝えて理解いただいています。本当はもっと卓球がしたいという思いもあるはず。それでも理解してもらい、応援してもらっています。
それから生徒の親も一番の協力者。1日24時間のうちクラブで過ごすのは多くて6時間ぐらい。残りの18時間は親と過ごす。その時間で甘いものや炭酸など卓球のマイナスになるものを取らないようにして、食事に気をつけてもらう。睡眠もしっかりとるように導いてもらう。こういう協力があって、はじめて卓球でも勝てるようになります」。
子供の指導からスタートした町の卓球場は、ステークホルダーの協力のもと、何人ものトップアスリートを輩出する日本卓球界の重要拠点となった。
そんな石田氏が見据える次なるビジョンとは。(「福岡から世界へ」早田、岸川ら生んだ日本卓球界“虎の穴”<石田卓球クラブ#2>に続く)
>>早田ひな「楽しい卓球」から「楽しめる自分」へ たどり着いた新たな強さ
文:川嶋弘文(ラリーズ編集長)